2011年06月15日

アタオコロイノナは北杜夫の創作ではない

 北杜夫の『どくとるマンボウ航海記』(1960年)および『どくとるマンボウ昆虫記』(1961年)ほかに登場するマダガスカル神話の「アタオコロイノナ」について、北の創作である、という誤解が一部で広まっているようである。日本語版ウィキペディアの「アタオコロイノナ」の項には、「北杜夫の著作以外の登場が無いこと、多くの研究者のフィールドワークの報告や様々な神話集・伝承集などに一切記述が無いことなどから、実際は北杜夫の創作した神であると考えられる。」などと書かれてしまっている(上記の記述は2009年2月17日の版で付加、2009年9月24日の最新版まで修正なし)。

 北自身、『昆虫記』で「これはマダガスカル南西部に残る正統な伝説である」と書いてあるだけで、はっきりとした典拠を示していないという問題はあるのだが、少なくとも、「様々な神話集・伝承集などに一切記述が無い」というのは間違い。これは、 Google ブック検索で “Ataokoloinona” を検索してみれば、すぐにわかることである(→検索結果)。

 たとえば、 Felix Guirand (ed.), Richard Aldington & Delano Ames (transl.), New Larousse Encyclopedia of Mythology, London: Hamlyn Publishing, 1968, pp. 473-474 に、次のようにある。

A legend of south-west Madagascar deals with the origins of death and rain among the Malagasy, and at the same time explains the appearance of mankind on earth.

‘Once upon a time Ndriananahary (God) sent down to earth his son Ataokoloinona (Water-a-Strange-Thing) to Look into everything and advise on the possibility of creating living beings. At his father's order Ataokoloinona left the sky, and came down to the globe of the world. But, they say, it was so insufferably hot on earth that Ataokoloinona could not live there, and plunged into the depths of the ground to find a little coolness. He never appeared again.

‘Ndriananahary waited a long time for his son to return. Extremely uneasy at not seeing him return at the time agreed, he sent servants to look for Ataokoloinona. They were men, who came down to earth, and each of them went a different way to try to find the missing person. But all their searching was fruitless.

‘Ndriananahary's servants were wretched, for the earth was almost uninhabitable, it was so dry and hot, so arid and bare, and for lack of rain not one plant could grow on this barren soil.

‘Seeing the uselessness of their efforts, men from time to time sent one of their number to inform Ndriananahary of the failure of their search, and to ask for fresh instructions.

‘Numbers of them were thus despatched to the Creator, but unluckily not one returned to earth. They are the Dead. To this day messengers are stiu sent to Heaven since Ataokoloinona has not yet been found, and no reply from Ndriananahary has yet reached the earth, where the first men settled down and have multiplied. They don't know what to do – should they go on looking? Should they give up? Alas, not one of the messengers has returned to give up information on this point. And yet we still keep sending them, and the unsuccessful search continues.

‘For this reason it is said that the dead never return to earth. To reward mankind for their persistence in looking for his son, Ndriananahary sent rain to cool the earth and to allow his servants to cultivate the plants they need for food.

‘Such is the origin of fruitful rain.’

[大略――南西マダガスカルにつたわる神話によれば、神ンドリアナナハリ(ヌドリアナナハリ)は、その息子アタオコロイノナを、地上に生命を生み出すことが可能かどうかを調べさるために、地上に使わした。ところが、そのころの地上はものすごく熱かったので、アタオコロイノナは地下にもぐりこんでしまい、そのまま姿を消してしまった。ンドリアナナハリは、息子が帰ってこないので、それを捜すために使用人を地上につかわせた。すなわち、これが人間の起源である。しかしアタオコロイノナがどうしても見つからないので、人間はンドリアナナハリに使者を寄こして新たなる指示をあおごうとした。これがすなわち「死」の起源である。しかし、ンドリアナナハリのもとに派遣した使者は誰一人として戻ってこなかった。そのため人間はいまだにアタオコロイノナを捜し続けている。また、雨は、ンドリアナナハリが、人間がアタオコロイノナを捜しやすくするよう、地上を冷やし、食べ物をもたらすために降らせているものである。]

 話の筋は、北が『昆虫記』で紹介しているものとほぼ同じ。 “Water-a-Strange-Thing” がもし “What-a-Strange-Thing” の間違いだとすれば、確かに、北のいうところの「何だか変てこりんなもの」ということになる。なお、マラガシ語(マダガスカル語)の表記法では o は /u/ と発音されるそうなので、 Ataokoloinona は、より正確には「アタウクルイヌナ」となるのかもしれない。

ラベル:読書
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2011年05月20日

『地図から消えた島々』本日発売

とりあえずエントリを立てておきます。

http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b87031.html
出版社(吉川弘文館)の紹介ページ

http://homepage3.nifty.com/boumurou/mybooks/2011islands.html
著者による紹介・サポートページ

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2011年05月14日

地方紙に見る関東大震災についてのデマ記事(続)

 前回、「名古屋大震災」「富士山噴火」の記事を入れていなかったので、それも含めて補足。今回は号外だけでなく、本紙に掲載されてしまったものも含んでいる。

 ちなみに、このころはまだラジオ放送が行われていないので、新聞が最も速報性の高いメディアだった。このころの号外は、現代でいえば、テレビやラジオのニュース速報に近いものである。関東大震災の際には、1日に3度も4度も出した新聞社もある。

 なお、こうしたデマ記事が掲載されてしまった背景について、少し説明しておくべきだろう。まず、東京の電信・電話施設は、地震発生とともに物理的に壊滅してしまい、東京は文字通り音信不通になってしまった。鉄道や道路も寸断されており、被災地への直接取材もままならない。おまけに、東京の新聞社はすべて物理的に壊滅している。つまり、地方紙にとっては、震災発生から数日の間は、信頼のできる情報がもたらされない、情報の裏をとりたくてもとれない、という状況に陥ってしまったのである。そのため、あらゆる手段をとって情報をかき集めた結果が――いかがわしい伝聞記事や噂話のオンパレードとなってしまった、というわけである。

◎名古屋大震災

名古屋も全滅?/詳細いまだ不明

(二日午前五時船橋無線電信局発小樽碇泊丁抹丸受信)[…]▲第七信傍受せし所に依れば横浜及名古屋は全滅せり

名古屋全滅の原因も地震と火災

名古屋地方にも強震火災起り全滅せりとの噂あり(三日仙台逓信局着信)[『小樽新聞』9月3日付号外第3、9月4日付本紙にも再録]

 「船橋無線電信局」というのは、千葉県東葛飾郡塚田村行田(現・船橋市)にあった海軍無線電信所船橋送信所のこと。東京近郊で唯一生き残った無線施設として、東京の被害状況を全国に伝える役割をになった。ただし、それが同時に、東京での流言やデマまで一緒に全国に広めてしまった、ということもよく知られている。出所が船橋送信所である、というのが正しいとすれば、これもその一例かもしれない。それにしても、「噂」レベルの話を見出しつきの記事にするとは……。

◎富士山が噴火

●東京大災震(第一報)/横浜、横須賀、全滅か

[…]震源地は三説ありて一は鹿島灘と云ひ或は富士山の爆発と云ひ或は天城山の爆発と云ひ何れが真なるや不明なり。

(九月二日午前七時本社特報)[『荘内新報』号外第1報]

 三つとも全部ハズレ。ちなみに天城山は火山ではあるが、その活動は約20万年前に終わっている。

◎横浜が海底に沈没

●震源地は天城山 第十二報/横浜全市海底に没して跡方なし

大強震、震源地は天城山にして、伊豆、伊東、下田方面は惨状言語に絶し倒壊家屋無数死者亦[また]算すべからず 所沢飛行隊は八台の飛行機を以て、東京市上空を偵察中、遂に皇居に延焼せるを確認せるも何等施すべき策なくして空しく引揚げ日光田母沢御用邸に御避暑中の陛下に奏上する所ありたり

◇名古屋電報

当地惨害甚しく駿河町は全滅し死者七八百名宛然生地獄を現出す

[…]

◇所沢特報

当場飛行機八台をして横浜市を偵察せしめたるに、仝市全部水中に没し、一の家屋を発見する能はず空しく引上たるも更に飛行活躍しつゝあり

[…](二日午後十時半特報)[『荘内新報』号外第12報]

 天城山が震源、というのはまだ許せるとしても、「皇居炎上を確認」「名古屋大震災」「横浜沈没」あたりは唖然とせざるをえない。いったいどこから情報を集めてきたのだろう。「名古屋電報」というのはほんとうに名古屋からの電報なのか。駿河町という地名は名古屋にも東京にもあるんだが。

◎山本権兵衛首相「暗殺?」

山本権兵衛伯暗殺?/各種の情報は何うやら真らしい/大混雑中に何者かの兇手に殪[たお]

山本権兵衛伯の暗殺説は全市無警察の状態なれば、未だ俄[にわか]に信を置き難いが長野運輸事務所より高崎へ高崎より大宮へ大宮より更に東京上野駅に連絡した情報は三回とも山本伯の暗殺説を伝へてゐるから或はどさくさ紛れに山本伯は何者かの兇手に見舞はれたのではないかと思惟される(長野電話)[『京都日出新聞』9月2日付本紙夕刊]

 「?」をつければいいって問題じゃないだろう。3回問い合わせた結果が同じだから事実である可能性が高い、というのもひどい理屈だ。

◎「不逞鮮人」が山本首相を暗殺、摂政宮裕仁親王も行方不明

●山本首相暗殺??/主義者の暴動

[…]尚[なお]茲[ここ]に驚愕すべきは、山本首相が一日午後不逞鮮人の為に暗殺せられたりとの報あり、

然も尚恐懼すべきは摂政宮殿下が一日午後自動車に召されて何れかの方面にか御出向遊ばされたる侭[まま]行方杳{よう]として知れず憂慮に堪えざるものあり

不逞鮮人主義者一派は混乱に乗じて暴動を起し、赤羽火薬庫砲兵工廠を襲ひ爆発せしめたり

但し吾人は是等の報道の希[こいねがわ]くは嘘報ならん事を祈るものなり(九月二日午後四時特報)[『荘内新報』号外第9報]

 「不逞鮮人主義者一派は…」の箇所は、この種のデマの典型的なパターン。朝鮮人や社会主義者が、いかに偏見の目で見られていたかを露骨に示している。

 「不逞鮮人の暴動」というデマが山本首相暗殺デマに結び付けられている、というだけでもひどいのだが、なんと摂政宮裕仁親王(のちの昭和天皇)が行方不明だという。こんなものすごいデタラメを報じておきながら(しかも典拠が示されていない)、「嘘報ならん事を祈る」もなにもないもんだ。

 他紙の大部分が、とりあえず摂政宮は無事、と報じている中で、このパターンは珍しい。

●山本権兵衛伯暗殺の噂/不逞鮮人の仕業といふも真偽全く不明

山本伯が大の地震騒ぎの中に不逞鮮人の為めに暗殺されたとの報があり又不逞鮮人及び反政府党が共謀砲兵工廠及海軍省を爆発せしめたとの報がある山本首相の暗殺されたといふ報は上野運輸事務所から出たものだといふことだが未だ何等根拠とすべきことなく信ずべき材料も無い(二日青森発)[『小樽新聞』9月3日付本紙]

 「何等根拠とすべきことなく信ずべき材料も無い」と思ってるんなら報道するなよ。

◎伊豆七島全部噴火、いっぽう伊豆大島は異状なし

伊豆七島噴火/大地震の再襲来はあるまいと気象台員語る

【高崎電話】伊豆七島は目下全部噴火して居る之[こ]れに関し中央気象台員は語る『噴火してももう大丈夫だ大地震は再び来ぬのが原則である』と

海嘯に襲れた下田/一時陥没を伝へられた大島は異状なし

【静岡電話】伊豆大島は通信不能の為め状況が知れず一時全島陥没したとの説があつたが電信も通じ何等の異状もなかつた事が判明した[…]此の日[9月1日]伊豆大島の三原山が噴火するのではないかと下田、稲取両町民は不安に襲はれ殆ど全町民は二日二晩竹藪の中に避難したが四日大島へ電信も通じ天城通い自動車が開通して居る(静岡経由下田来電)[『九州日報』9月6日付号外第2]

 何が凄いかって、このあからさまに矛盾する2つの記事は、同じ号外の紙面で仲良く隣り合っているのである。出所が異なるとはいえ、変だと思わなかったんだろうか。

 「噴火してももう大丈夫だ、大地震は再び来ぬのが原則である」という中央気象台(気象庁の前身)のコメントも問題がある(そもそも噴火自体もデマだし、このコメントも実際に出されたものかどうか不明だが)。確かに同程度の規模の地震が同じ場所で繰り返し起きる、ということはないにせよ、余震はまだ続いている。4ヶ月後の1924年1月15日には、 M 7.3 (つまり兵庫県南部地震=阪神・淡路大震災と同じ規模)の「丹沢地震」が発生、神奈川県中南部を中心に死者19人を出している。

◎松方正義に聞く“死んだ感想”

松方公元気に復る

鎌倉別邸に静養中負傷した松方老公は目下勧銀[日本勧業銀行=現・みずほ銀行]理事川上直之助氏別邸に静養中であるが左大腿部外全身八ケ所の擦過打撲傷を負つたが今日では大腿部を除く外は全部治療し極めて元気である九日川上氏邸に公を訪ふと漸く歩けるやうになつたと病室から縁側に進み藤椅子に依つて団扇を使ひ乍[なが]ら『死んだものが居るのだから幽霊の写真が出来よう』と悪口を叩きニコ/\しながら[…](東京電話)[『福岡日日新聞』9月11日付号外]

 最後におまけ。「死亡」と大々的に誤報されてしまった元老の松方正義から、新聞記者にひとこと。なお、この記事には松方の写真は掲載されていない。

posted by 長谷川@望夢楼 at 01:43| Comment(4) | TrackBack(0) | 歴史の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月10日

地方紙号外に見る関東大震災についてのデマ記事

 先日(5月1日)、 Twitter でこんな話を書いたところ、予想外に反響があった。

  • 関東大震災のときに地方紙に載ったデマは、例の「不逞鮮人」関係を除いても酷いもので、報道の通りなら伊豆諸島はすべて水没し、富士山は爆発し、名古屋は壊滅し、高橋是清や松方正義は死亡し、宮城(皇居)は炎上し、山本権兵衛首相は暗殺されているはず。 posted at 00:16:34

 せっかくなので、新聞資料ライブラリー〔監修〕『シリーズその日の新聞 関東大震災 上 激震・関東大震災の日』(大空社、1992年)に収録されている地方紙の号外の中から、明らかなデマ記事をいくつか抜き出してみた。以下の抜き書きは、1923年9月4日ごろまでのものの中から目についたものを適当に選んだだけであり、網羅的なものではないことをお断りしておく。漢字は新字体に直した。[…]は引用者註。散発的な誤報もあれば、「松方公薨去」のように、本格的に信じられていた誤報もある。

 記事を見ていると、東京発の情報が途絶えている中で、地方紙の側が、なんとかして情報をかきあつめようと四苦八苦しているのがわかる。もちろん正しい情報も掲載されているのだが、しかし、このような虚報が大量に流されていたのもまた事実である。なお、ここでは挙げていないが、明らかに最も目につくのが「朝鮮人が爆弾や毒薬を持って暴れている」の類の悪質なデマである。

◎槍ヶ岳が噴火

大地震の原因は槍ケ岳の爆発

大地震の原因は日本アルプスの槍ケ岳の爆発と判明した[『小樽新聞』9月2日号外]

 そもそも火山じゃない。

◎秩父山が噴火

秩父連山大爆発/噴煙天に冲す

秩父連山は卅日噴火を始め一日正午に至り俄然噴煙天に冲して大爆発をしたものらしく之を高崎方面で眺むれば寧ろ壮観で今回の大地震は秩父連山の大爆発によるものあらうとも伝えられてゐる(長野来電)[『大阪毎日新聞』9月2日付号外第2]

 やっぱり火山じゃない。

◎横須賀が沈没

横須賀は陥没/所在不明

(二日午前十一時四十分青森発無線通信)横須賀陥没し所在を知る能[あた]はず[『小樽新聞』9月2日付号外第2]

 ちなみに、同じ号外に「青森発」として「不逞鮮人横行の為め取締困難を極む東京」というデマ記事が載せられている。

◎伊豆大島が沈没

島影を認め得ぬ小笠原と大島/海中に陥没せるものらしい

小笠原大島等は強震のため渺茫[べうぼう]たる海原と化し海上から視察するも島影をみとめ難く海中に没したものらしい(二日宇都宮発)[『小樽新聞』9月3日付号外第2]

新島出現す/大島が見えない

千葉警察部の報道によれば伊豆大島の前方に新しき島が出現し大島は新島に遮られて見えなくなつたと一説には大島は陥落して見えなくなつたのではあるまいかと噂されて居る[『名古屋新聞』9月4日付号外第2]

震源地大島/全島沈下して全島民溺死

今回の震源地なる伊豆大島全島沈下した為め島民全部溺死したとの説あるが消息不明の為め詳細判明せず[『名古屋毎日新聞』9月4日付号外]

◎宮城(皇居)炎上

宮城の一部焼失/鉄道省は全焼す/札幌鉄道局に達せる情報

二日午後二時まで札幌鉄道局に達した情報によれば宮中の一部焼失鉄道省は全焼し[…][『小樽新聞』9月2日付号外第2]

(※追記――鉄道省本庁舎の炎上は事実です。誤解されそうなので念のため。)

宮城今尚鎮火せず

[…]宮城も尚焼けつゝある(二日午前六時大阪運輸事務所着電)[『大阪毎日新聞』9月2日付号外第2]

全市火の海/宮城も半焼

【長野電話】東京市の火事は二日午前二時半に至るも尚ほ止まず[…]尚ほ宮城も遂に半焼した[…][『九州日報』9月2日付号外]

(※追記――宮城の一部に飛び火があったところまでは事実なので、最初の2つは完全な虚報とまではいえない。とはいえ、「半焼」は明らかに行き過ぎ。)

◎松方正義が死亡

松方公薨去

重傷を負ふて危篤に陥つた松方老公は遂に薨去した享年八十九歳(名古屋)[『京都日出新聞』9月3日付附録]

松方公薨去/鎌倉で負傷中の処

鎌倉に静養中の松方公が負傷したことは既報のごとくなるが引続き加療中の所三日薨去した(三日青森発)[『小樽新聞』9月4日付号外第1]

松方公逝去

松方公は鎌倉別邸に避暑中であつたが震災と同時に家屋倒潰し公は二日屋根の下敷になつて惨死して居たので三日重態の旨宮内省に届出でた[『名古屋新聞』9月4日付号外第2]

 最も代表的な「著名人が死亡」の虚報。松方正義(元老、公爵)は実際には1924年死去。なお、『名古屋新聞』の記事には、「惨死」後に「重態」を届け出る、という矛盾がある。

◎高橋是清が死亡

高橋総裁以下政友会幹部廿名圧死/本部で協議中俄然建物倒壊す

【名古屋電話】一日午後一時政友会本部で幹部会を開き協議中であつた高橋総裁以下二十名の幹部は本部建物倒壊の為め非難する暇なく全部圧死したとの情報を中央線列車乗組の車掌が齎らした[『九州日報』9月3日付号外第4]

政友会本部倒潰し高橋総裁圧死/幹部廿名と協議中の災厄

政友会高橋総裁は幹部二十名と本部にて政策問題につき協議中本部倒壊し高橋総裁は圧死したと(四日青森発)[『小樽新聞』9月4日付号外第1]

 高橋是清(元首相、立憲政友会総裁)は実際には1936年の2・26事件で殺害されている。

◎華頂宮博忠王が死亡

華頂宮薨去/横須賀隧道内で土砂崩壊の為

海軍少尉華頂宮博忠王殿下(二十二歳)には安否不明なりしも横須賀第一隧道内に於て御乗車の列車に土砂崩壊し薨去遊ばされたり[『名古屋新聞』9月4日付号外第2]

 華頂宮博忠王は実際には1924年死去。

◎島津忠重が死亡

島津公圧死

島津忠重公は去る一日大崎の本邸にて圧死した[『名古屋新聞』9月4日付号外第2]

 島津忠重(旧薩摩藩主島津家当主、公爵)は実際には1968年死去。

◎山本権兵衛首相暗殺

山本伯暗殺の風説/未だ尚ほ信ぜられず

内閣瓦解の後に大命を拝して新閣僚の選定に努めつつあつた山本権兵衛伯は一日激震の最中何者かに暗殺されたといふ風説伝はる、流言頻々たる折柄本社は尚ほ極力精探中であるが未だ信ぜられず[『大阪朝日新聞』9月2日付号外第2]

山本伯身辺の風説/確証も打消材料も共に無い

山本首相が暗殺されたといふ流説が専ら伝はつたそれを聞いた者は上野運輸事務所の者の口から出たといふが此場合の事とて何ら根拠ありとも認められぬと同時に又打消すべき確証もない(名古屋来電)[『大阪毎日新聞』9月2日付号外第2。ほとんど同一の文章が『九州日報』9月2日付号外にも「長野電話」としてある]

 ことがあまりに重大なためか、さすがに未確認情報だと断っている。

◎名古屋市でも震災

名古屋全滅は風説ならん/名古屋鉄道局から札鉄へ業務上の通信

名古屋は震災を被つて全滅したと云ふ噂があつたが三日午後四時三十五分名古屋発同十一時十三分札幌鉄道局着電に依ると、中央線浅川塩山間不通の処猿橋塩山開通すとの電頼があつた、之に依ると右風説は虚構であらうと[『小樽新聞』9月4日付号外第2]

 この場合はデマ訂正だが、つまりそれ以前にそういうデマが広まっていたということである。何が陰鬱かといって、同じ号外に「不逞鮮人水道に毒薬を投ず」「爆弾携帯の不逞鮮人四百名逮捕」といった悪質なデマ記事が載っていることだろう(400人もが携帯できる量の爆弾なんか、いったいいつ、どこで用意したというのだ?)。

 ……あれ? 富士山噴火が無いな。見落としたか。

(21:00 若干の誤記を修正、追記を付け加えました。)

(5月16日追記。「富士山噴火」「名古屋市でも震災」については続きを参照のこと。)

posted by 長谷川@望夢楼 at 01:56| Comment(1) | TrackBack(1) | 歴史の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月08日

掲示板のアクセス障害について(復旧しました)

現在、 Rocket BBS にアクセス障害が発生しているため、一時的に掲示板にアクセスができない状態になっています。 Rocket BBS より、臨時措置として一時的にアドレス変更を行うという通知がありました。以下の URL で接続できるとのことです。
ttp://www3.rocketbbs.net/731/boumurou.html

※4月10日追記。復旧しました。
posted by 長谷川@望夢楼 at 23:16| Comment(3) | TrackBack(0) | 本館更新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月03日

『地図から消えた島々』

http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b87031.html
 版元の吉川弘文館のウェブサイトで、『地図から消えた島々』の紹介が出されました。5月20日発売予定で、すでに予約が可能になっています。よろしくお願いします。
 ちなみに、歴史文化ライブラリーとしては若干高めの定価設定ですが(1800円+税)、これは私が調子に乗って書きすぎたからです。
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2011年03月14日

「政治とカネ」という表現

 さて、震災のためにどうでもよくなってしまった気がするのですが、そもそも地震が起こったときに何を調べてたかというと、 Twitter で書いた次の件が気になって、読売新聞(ヨミダス文書館)と朝日新聞(聞蔵IIビジュアル)で全文検索をかけていたのですね。

# 「政治とカネの問題」という言い方がかなり気持ち悪くて仕方ない。うさんくさい。いつから定着してしまったんだろう。 10:49 PM Mar 7th webから

 まず読売新聞(1986年〜)。分量が多いので3年ごとに区切って、単純検索で本文に「政治とカネ」という表現がどのくらい使われているのかを調べたもの。(1986年はゼロ。1996〜99年だけ4年間になっているが、間違いに気付いて訂正しようと思った矢先に地震が襲って来た。)

年次政治とカネ政治と金
1987-1989 49 36
1990-1992 109 41
1993-1995 115 40
1996-1999 44 24
2000-2002 364 55
2003-2005 496 62
2006-2008 977 76
2009-20112016 81

 次に朝日新聞(1984年〜)(追記:『AERA』『週刊朝日』を含む)。

年次政治とカネ政治と金
1984-1986 7 0
1987-1989 100 45
1990-1992 152 55
1993-1995 173 86
1996-1998 44 20
1999-2001 90 23
2002-2004 614 115
2005-20071153 96
2008-20101961 145
2011 118 3

 各記事の詳細なチェックを行っていないが、1980年代末〜90年代初頭は、明らかにリクルート事件(1988年)や東京佐川急便事件(1992年)とリンクしている。橋本龍太郎内閣期(1996〜98)、小淵恵三内閣期(1998〜2000)あたりでは減少、安倍晋三内閣期(2006〜07)あたりから急増しているようである。3年ごとでなく、もうちょっと細かく区切ってみないと、あまり確実なことはいえない。

 また、『朝日新聞』での見出しの初出は、1952年10月21日付夕刊のコラム「今日の問題 政治と金」(コラム)で、昭電疑獄(1948年)に関連した内容。「政治とカネ」という表現では、1956年4月6日付朝刊の都留重人による署名記事「危機に立つ民主主義(4)驚く心こそ必要 ひどすぎる政治とカネの悪縁」。いずれにせよ、もともとは明白な汚職と関連した表現であったことは間違いない。まあ、だから何だ、といえるほどの分析はできていないが。

 ついでに「血税」の件。

# 現代的な意味での「血税」という言葉の使い方もかなり気持ち悪いと思う。もちろん語源的には徴兵制度のことなのだが(そんくらいみんな知ってるよなぁ)、それがいつから「血の出るような思いで納める苛酷な税」(『広辞苑』第6版による第2義)という意味で使われるようになったんだろう。 10:51 PM Mar 7th webから

 『朝日新聞』1951年4月8日付朝刊の「声」欄に、「血税の行方」という投稿が載せられている。案外古い、というより、もしかしたら戦前に遡る表現なのかもしれない。

(追記)……と書いてから、ふと思いついて神戸大学新聞記事文庫で検索をかけてみた。なんだ、1913年の『報知新聞』で、すでに「国民の血税を以て一私設会社の私服を肥やすは断じて賛す可からざる所」という表現が使われているではないか。(ID 00139248)

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帰宅困難日記(反省)

 あ、ひとつ重大な反省点。
 もちろん結果論ではあるのですが、この場合、迂闊に動き回らず千葉大でじっとしているのが最も適切な行動でした。もともと避難場所なのだし、ネット環境もあるし、特に停電などがあったわけでもないし。
 なお自宅は本当に大したことありませんでした。万が一、本棚が倒壊していたらどうしようと思っていたのですが、本棚から本が落ちることもなく、収納しきれずに適当に積んである本の山が崩れただけでした。
ラベル:日記
posted by 長谷川@望夢楼 at 17:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

帰宅困難日記(3月12日)

(11日分からの続き)
 携帯はなかなかつながらなかったが、12日早朝になったようやくつながった。

# やっと携帯からつながった。千葉市民会館で仮泊中。いったん千葉駅に向かったのは判断ミスだったといまさら後悔。結果はほとんど同じか。 3:52 AM Mar 12th

# 関東圏でも被害がここまで大きいとは思わなかった。また余震だ。今日はJR動かせるんだろうか。もさて、予定通りであれば本日は同時代史学会定例研究会なわけですが。PCメール読める状況でないのです。 4:03 AM Mar 12th

# え、長野で震度6強? 別の大地震? いったん寝る。 4:08 AM Mar 12th

 3:59に新潟県中越地方を震源として発生したマグニチュード6.6の地震である。東北地方太平洋沖地震は明らかなプレート境界型地震なのに、その余震が新潟での内陸地震というのは、あまりに場所が離れすぎていないか。プレートも違う。余震ではなく、別の地震が偶然発生した、ということなのか? それにしたって、なぜこのタイミングで? まるで小松左京の『日本沈没』じゃないか。
 2時間ほど仮眠をとり、6時過ぎに起きる。朝になると、さらにとんでもない状況が明らかになってきた。
 NHKでは福島県南相馬市(相馬市だったかもしれない)の状況を映し出している。海岸の町が水没している。昨晩からコメンテイターとして延々とコメントを続けていた都司嘉宣氏が、「気になるのは、潮の流れが見えないんですね。もしかしたら陥没しているのかもしれない」などと語り出した。
 真っ先に思い浮かんだのは白鳳地震である。瓜生島では無かった。イメージとしては白鳳地震のほうがぴったりだったのである。
――『日本書紀』巻第29(天武天皇下)・天武天皇13年[684]十月壬辰条。「壬辰、逮于人定、大地震。[…]土左國田菀五十余万頃沒爲海。」(壬辰〔みづのえたつのひ〕に、人定〔ゐのとき〕に逮〔いた〕りて、大きに地震〔なゐふ〕る。[…]土左国〔とさのくに〕の田菀〔たはたけ〕五十余万頃〔いそよろづしろあまり〕、没〔うも〕れて海と為る。)
 ……「桑海の変」という言葉を思い出す。
 もし陥没だとしても、規模はせいぜい数メートル程度だろう(後でわかったが、実際に約 70cm 陥没していた)。それでも、これだけの規模の被害が生じるのだ。陥没だとすれば、海水はずっと引かないことになる。そうでなくても、これだけの冠水はあまりに衝撃的だ。そして、この海水に呑みこまれた人間は、確実に多数にのぼるはずなのだ。
 ……沈没伝説は……やっぱり、歴史のロマンなんかじゃない。そこにあるのは、大災害であり、そして膨大な数の死者なのだ。

# おはようございます、っていうかまだ電車動いてない。NHKで相馬市の状況を写してたが、憶測でものを言うべきではないのだろうが、もしかして、白鳳地震や豊後地震もあんな状況だったんだろうか? 大津波警報がまだ解除できないのも驚き。 6:40 AM Mar 12th

 この時点で、確認された死者数はまだ1000人前後だったと思う。しかし、実際の死者数はそれをはるかに上回ることは、容易に想像がついた。どうやら、海岸部はとんでもないことになっているらしい。
 三陸地震津波といえば、田老の 10m 防潮堤がすぐに連想される。明治・昭和の2度の大津波の教訓から建造され、1960年のチリ地震津波では完璧に威力を発揮したという代物だ。あれはどうしたのだろう。もしかして……あの大防潮堤ですら、防ぎきれなかったのか? (後で知ったが、本当に防ぎきれなかったのだという!)
 総武線は7時過ぎに再開の見込み、ということだが、内房線・外房線その他は不明。7時過ぎ、市民会館を出て駅へ行くが、案の定動く様子がない。5:30現在の千葉駅からの発表によれば、京葉線と武蔵野線は「本日午後以降、運転再開の見込み」だが、佐倉以遠の総武線と内房線・外房線・東金線・久留里線・成田線(佐倉〜成田空港間は除く)・鹿島線は「運転再開のめどは立っておりません」という。つまり、12日中に再開するかどうかすらわからないのである。もしかして、千葉に2晩も泊まることになるのか? 路線バスは動いているが、バス停は長蛇の列になっている上、乗り継ぎをしなければ家までは帰れないし、そもそも乗り継ぎ経路がよくわからない。
 7:45。とりあえず駅近くのネットカフェに入り、メールを確認する。案の定、同時代史学会の定例研究会は中止ということになっていた。とりあえず Twitter で告知を出す。

# 千葉駅近くのネットカフェより。東京方面は動きだしたが、千葉以南は再開の見通しすら立たない模様。さてどうしたものか。 7:54 AM Mar 12th

# 本日の同時代史学会研究会および理事会は中止です! 7:58 AM Mar 12th

 小一時間を要してホームページを修正。

# ホームページ上にも告知を出しましたがあらためて確認します。本日の同時代史学会定例研究会は中止です。それでは、なんとか帰宅を試みてみることにします。 8:40 AM Mar 12th

 8:45、ネットカフェを出て千葉駅に引き返す。

# 千葉駅。まだ内房外房動かない…。 9:02 AM Mar 12th

 千葉駅のテレビモニタでニュースを見る。やっとのことで避難所に逃れて来た被災者の姿を見て、これはまさしく「津波てんでんこ」(山下文男)ではないか、と慄然とする。
 外房線と内房線はなかなか動かない。大津波警報が出されているため安全確認ができない、とのことだが、外房線は茂原あたりまでは内陸を走っている。茂原か、せめて大網あたりまでなら走らせられそうなものだ。たぶん、土気トンネルの辺りか、あるいはあちこちにある軟弱地盤のほうの安全確認に手間取ったのだろう。
 確か11:30頃、ようやく内房線と外房線が動く見込み、という発表があった。13時に内房線の千葉〜君津間、18時に外房線の蘇我〜茂原間が動く見込み、とのことである。まぁ、予定時刻は当てにならないとしても、今日中に動くのは確実だろう。
 昼過ぎ、いったん路線バスに乗って蘇我まで行ってみるが、運転が再開されたはずの京葉線にかなりの混乱が見られる。蘇我に来たのは間違いだったと思い、16時頃、再開された内房線(上りはガラ空きだった)に千葉に引き返す。その間に福島第一原発が爆発していたのを知って唖然とする。
 18:37頃、ようやく外房線が茂原まで動くという発表があり、ただちに乗り込む。18:45、18:48に発車するとの放送が流れた。予定通り出発。地震発生から約28時間後のことだった。意外だったのは、電車内がたいして混雑していなかったことである。もちろん座れるほどではないが、普通の帰宅時とほとんど同じくらいの混み具合だった。要は、28時間も待ちぼうけをやった奴はそれほど多くなかった、ということなのだろう。

# 帰宅ー! まさか電車が28時間も止まるとは思わなかった。部屋の惨状は想定の範囲内というかこの程度で済んで良かった。 9:19 PM Mar 12th
ラベル:日記
posted by 長谷川@望夢楼 at 00:55| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

帰宅困難日記(3月11日)

 被災地の方々に心よりお見舞いを申し上げるとともに、亡くなられた方々のご冥福を祈る次第です。また、現在救助を待ち望んでいる方々が、一刻も早く救助されるようお祈りいたします。何もできませんが……。
 さて。
 Twitter の方でも報告しましたが、当日、たまたま千葉大にいたため、ものの見事に帰宅困難者というやつになってしまいました。いくらなんでも歩いて帰れる距離じゃないので(明治時代の人なら歩けただろうが)、外房線の運航が再開されるまでの約28時間、ひたすら待ち続ける羽目に。何の参考にもならないと思いますが、回想がてら記しておきます。

 そもそも11日に千葉大にいたのは、30分程度で終わるような、ちょっとした仕事の打ち合わせのため。その後、ネットでのちょっとした調べ物のために大学院棟4Fの某研究室に行き、それもおおむね終わったので、パソコンの画面を眺めつつ、さて図書館にでも行こうか、と思っていたところへ急に揺れが襲って来た。
 初期微動が長かったので遠隔地での地震、本震もかなり強いものの身の危険を感じるほどではない……と思っていたのだが、その本震がなかなか終わらない。不安になってきたので机の下に入る(咄嗟に、ではないところが我ながら暢気で間抜けな所以である。断じて真似しないように)。正確に時間を測ったわけではないのでなんともいえないが、4〜5分は続いていたように思う。平積みになった資料やら本やらがぱたぱたと落ちる。この建物が倒壊したら助からないな、ま、このくらいなら潰れはしないだろうけれど、と漫然と考える。
 揺れが収まったところで、パソコンからネットで情報を確認する。驚いたことにマグニチュード7.9(当初の速報値)、宮城県で最大震度7(栗原市築館)という。阪神・淡路大震災どころではない、関東大震災クラスではないか! この規模なら気象庁命名地震になるのは間違いない。震源は三陸沖だから津波が危ない。宮城には親戚も知人もいるので心配だ。
 ……が、この時点では、まさか関東圏でも相当な被害が及ぶ、とは思っていなかったのである。千葉市内では中央区で震度5強、稲毛区で5弱。かなり激しくはあるが、その程度といえばその程度である。津波は千葉にも押し寄せるだろうが、千葉大も自宅も海岸からは距離があるし、山がちな地形でもないから、危険なところにさえ近づかなければ大丈夫。危ないとすれば液状化現象くらいだろう……その程度に思っていた。

# 於・千葉大なう。あーびっくりした。ずいぶん長いこと揺れたな地震。 2:59 PM Mar 11th

# というかまだ揺れてる……千葉でこれだけとなると宮城が心配だ。 3:00 PM Mar 11th

# 稲毛区で震度5弱。帰るのがちょっと怖いなー。うちの部屋がそれはもう酷いことになってそうで。 3:06 PM Mar 11th

# また揺れてるし。 3:08 PM Mar 11th

 しかしながら激しい余震が続いているので、さすがに建物の中にいるのは危ないと感じ、パソコンの電源を落として屋外に出た。屋外には学生やら教員やらが当惑気味に出ている。ポータブル・ラジオで状況を聞いている人がいて、ああいうものは日ごろから持ち歩いたほうがいいのかも、などと思う。
 どうしようかと迷った。図書館に行くつもりだったのだが、この状況では閉館になっているかもしれない(実際、そうなっていた)。避難場所に行く、というのなら、そもそも千葉大自体が避難場所なのである。とにかく、明日のこともあるし、いったん帰途につくことにした。
 とはいえ、東北地方はおそらく酷い事態になっているのだろうが、千葉ではたいしたことはなさそうだ、とひとごとのように考えながら、西千葉駅に着いてみると、JR線が全面ストップになっている。15:40頃だったと思う。再開までには5時間くらいかかる、というアナウンスが入る(この時点では同日中に再開されるはずだった)。21時くらいになってしまうではないか。ここで、ようやくことの重大さを認識し出す。
 避難場所である千葉大に戻ろうかとも思った。しかし、どのみち帰宅には外房線を利用するので、西千葉駅から乗ったとしても千葉駅で乗り換えなければならない。それに、千葉駅前には大型モニタが設置されているから、西千葉よりも状況の把握は容易だろうし、それに新聞の号外なども出ているかもしれない――と思って、千葉駅まで歩くことにした。もともと両駅間は歩いてもせいぜい20分程度であり、よく歩いてはいるのである。後で、これは判断ミスだったんじゃないかとも思ったが、どのみち、どこかで足止めという羽目になるのは確実だったろう。
 千葉駅に着いてみると、駅前のモニタではまだ広報などをやっていて、報道番組などは映していない。号外も出ている様子が無い。JR、京成、千葉都市モノレールはいずれも全面停止、バス停とタクシー乗り場は長蛇の列。
 市内を40分ほど散策して戻ってみると、さすがにモニタはNHKテレビへと切り替えられていた。歩いている間に「東北地方太平洋沖地震」という命名がされており、さらに、マグニチュードが8.4に修正されている。と、観ているうちに規模が8.8に再修正された。もちろん日本地震観測史上最大の値である。
 さらにテレビ画面は、津波が名取川を遡行し、次々と田畑や家々を呑みこむ、という画面を映し出した。あまりに異様な状況のため、一瞬、何が起こっているか理解できなかった。知識としては知っていたつもりでも、実感としては受け取っていなかった津波の恐ろしさが、まさか目の前に映し出されるとは。さらに、おそらく人が乗っているであろう、ランプの点いた車が津波に巻き込まれて流される――という場面が生中継で流された。さすがに、これはすぐに映像が切り替えられた。
 ――「海の壁」(吉村昭)だ。
 どうやらとんでもない事態が起こっていることが、だんだん把握できてきた。電車はいっこうに動く様子が無い。明日は同時代史学会定例研究会が開催予定だが、この状況で実施できるのだろうか。
 ニュースを見ると、JFEスチール東日本製鉄所(川鉄)とコスモ石油千葉製油所で火災が発生したとのこと(ただし、東日本製鉄所の方は、後で火災ではなかったことが判明する)。どうりでさっきから消防自動車が走りまわっていたわけだ。他にも鹿行大橋が落ちたらしいとか、さまざまな情報が飛び交う。
 コンビニを覗いてみると、すでにおむすびやパンなどはほとんど売り切れている。菓子パンなどは残っているし、インスタント食品や飲料などの在庫は十分に残っているから、とりあえずの食糧危機ということはなさそうだが、流通ストップが長期化すると危ないかもしれない、と感じた。
 とりあえず自宅に連絡しようと思って携帯から電話してみるが、いっこうにつながらない。地震直後にはつながっていたネットともつながらない。しかたがないので公衆電話に向かう。JR千葉駅東口の公衆電話は故障しているようなので、京成千葉駅の公衆電話に行ってみると、とんでもない長蛇の列。1時間ほど待たされた末、ようやく家に連絡がとれたのは19時過ぎだった。並んでいる間に、JR線の終日運行停止が決定。こうなると、千葉でなんとかして一泊しなければならない。
 ホテルは端から諦め、ネットカフェか24時間営業のファミレスで過ごそうかと思い(後から考えれば、千葉大に引き返せば良かったのだが、このときはそうは考えなかった)、あちこち探してみたのだが、どこも入れそうにない。そもそも、ネットカフェやファミレスの中にすら、地震や、それにともなう流通停止の影響で営業を停止するものも出てきているのである。
 一晩過ごす程度なら気にはしないのだが、まだ夜は寒い。屋外で過ごすのはさすがにつらい。千葉駅構内では、帰宅困難者の方々が大量に座り込んでいる。仕方ない、同じように夜を明かそう、この程度で風邪をひくこともないだろう……と決意したところに、22時過ぎ、「千葉市との協力により、400人分の避難場所が確保できました」というアナウンスが入る。どこが避難場所なのかという説明はなかったが、千葉駅からほど近い千葉市の施設ということならば千葉市民会館だろう、と思って案内されるままについていくと、案の定、その通りだった。
 幸い、テレビモニタもあり、NHKニュースを映し出している。本を読んだりうとうとしたりしつつ、時間を過ごす。幸か不幸か、読む本だけは、たまたま沢山持っていたのである。明日は電車は動くのか、と、だんだん心配になってくる。
(長くなったので分割。12日分に続く)
ラベル:日記
posted by 長谷川@望夢楼 at 00:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする