先日明らかにされた東京都による尖閣諸島購入計画については、実効支配という観点からいえば、はっきりいって無意味だと思う。そもそも、この島々はもともと日本側が実効支配しているのである。だいたい現在も国(総務省)が借り受けているのだし。公有地にすることで管理が安定するというメリットがあるとしても、所有すべきなのは国・沖縄県・石垣市のいずれかであって、直接何の関係もない東京都が出張ってくる意味は無い。
私有地のままにしておくと外国政府が購入する恐れがある、と心配される向きもあるかもしれないが、国内法上の土地所有権と、国際法上の領有権とは別の概念である。だいたい、日本の国内法に基づいて土地を購入し、その土地を不動産登記したとすれば、とりもなおさず、日本政府によるその土地の領有権と管理権を認めていることになってしまう。したがって、本気で尖閣諸島の領有権を主張するつもりがあるのなら、尖閣諸島の土地を日本の国内法に基づいて購入したりしてはならないはずである。
それはともかくとして、そもそも、なぜ尖閣諸島が(日本国の国内法上)私有地となっているのか、ということについて、簡単にまとめておきたいと思う。なお、言うまでもないが、以下の記述はすべて「日本国の国内法上」という前提付きでの話である。中華人民共和国と中華民国(台湾)は、そもそも日本による尖閣諸島の領有自体を認めていないので、両政府の立場からすると、尖閣諸島が日本の国内法に基づいて不動産登記されているということ自体が認められないことになるからである。
さて、いわゆる尖閣諸島のうち、私有地になっているのは、南小島(沖縄県石垣市登野城2390番地)、北小島(2391番地)、魚釣島(釣魚島。2392番地)、久場島(黄尾嶼。2393番地)の4島である。大正島(久米赤島、赤尾嶼。2394番地)は、地籍の設定が行われたのが1922年(大正11)になってからであり、当時から現在に至るまで国有地である(『季刊沖縄』第63号、南方同胞援護会、1972年)。また、沖ノ北岩・沖ノ南岩・飛瀬の3岩礁は、そもそも土地台帳に記載がなく地番も設定されていない(浦野起央『【増補版】尖閣諸島・琉球・中国――日中国際関係史【分析・資料・文献】』三和書籍、2005年)。
魚釣島と久場島は、1895年(明治28)1月14日の閣議決定に基づき沖縄県に編入された。同年6月、那覇在住の実業家・古賀辰四郎(1856〜1918)が、久場島に対する「官有地拝借御願」を内務大臣に提出した。翌1896年(明治29)4月、沖縄県八重山郡が新設された際、魚釣島・久場島は北小島・南小島とともに八重山郡の所属となったらしいのだが、この編入手続きに関する行政記録は発見されておらず、ひとつの謎となっている。同年9月、内務大臣は古賀に対し、魚釣島・久場島・北小島・南小島の4島を「30年間無償」という破格の条件で貸与する許可を出した。拝借願が久場島1島の拝借のみを求めているのに、他の3島がおまけでくっついてきた理由はよくわからない。
古賀の目的はアホウドリ猟であったが、アホウドリは乱獲のため数年で島から姿を消してしまい、その後、古賀はカツオ漁とカツオ節の製造に乗り出すことになる。古賀は1918年(大正7)に死去、その後に長男の古賀善次(1893〜1978)が開拓事業を受け継ぐ。そして1926年(大正15)、ついに貸借期限の30年が切れてしまった。
その後、古賀善次は4島の有償貸借を一年更新で続けていたが、1932年(昭和7)に内務省から有償払い下げを受け、4島は古賀善次の私有地になることになった。この経緯について、古賀善次本人は、いくつかのインタヴュー記事で次のように述べている。
大正七年[1918]、父は、六十三歳にしてこの世を去り、私が跡を継ぎました。そして大正十五年[1926]には三十年の借地期限も切れたのです。
そこでしばらくは借地料を払ってカツオ節工場を経営していたのですが、だんだんそれが負担になってきましたので、昭和六年[1931]に払い下げを申請し、翌年許可されました。その日から魚釣島、久場島、南小島、北小島の四島は私の所有ということになったわけなのです。[古賀善次/若林弘男=インタビューと構成「毛さん佐藤さん 尖閣列島は私の“所有地”です」『現代』第6巻第6号、講談社、1972年6月、144頁]
昭和七年五月二十日(一九三二年)、借りていた魚釣島と久場島(黄尾嶼)の両島を国から払い下げを受けました。値段は魚釣島(面積三百五十七町)[約3.5km2]の場合、二千八百二十五円でした。また同じ年の七月十五日には、南小島と北小島も買い取りました。[新藤健一「所有者が初めて明かす往年の尖閣列島」『世界画報』第305号、国際情報社、1977年10月、64頁。なお、同記事では古賀善次が1977年現在も4島を所有しているかのように書かれている。]
しかし、その数年後には4島は無人島化する。
魚釣島、久場島、北小島、南小島の四島が私の所有地ですが、戦後は別に用事もなく、ぜんぜん行っていません。事業は昭和十五年[1940]までカツオ漁を中心にやっていました。でも、第二次大戦のぼっ発で石油の配給がストップしたため、やめて引揚げてきました。カツオ節を作るには、いぶすための燃料が不可欠だったからです。[新藤「往年の尖閣列島」62頁]
この4島のうち、久場島を除く3島は、1974年(昭和49)に古賀善次から、現所有者である埼玉県在住のさる実業家(K氏)に売却されている。このとき久場島が別扱いになったのは、この島が戦後に米軍の演習場(黄尾嶼射爆撃場)に指定されたことと関係があると思われる(沖縄県知事公室基地対策課/FAC 6084 黄尾嶼射爆撃場)。古賀善次のインタヴューには次のようにある。
戦後、私の所有する島のひとつ久場島を、米軍は射爆場として使いはじめました。
使いはじめたのは終戦直後かららしいんですが、米軍が私に借地料を払うようになったのは昭和二十五年[1950]からです。
地料は年額一万ドルあまり。無期限使用となっていました。[古賀「尖閣列島は私の“所有地”です」145頁]
[…]久場島(黄尾嶼)も実は米軍の射爆場として使われているんです。昭和二十七、八年[1952〜53]頃からだったと思いますが、その時で年額一万一千百四ドルを使用料としてもらっています。最近では年額三百五、六十万円を防衛施設庁を通して受け取っています。[新藤「往年の尖閣列島」65頁]
ただし、浦野起央『【増補版】尖閣諸島・琉球・中国』では、琉球列島高等弁務官が久場島を軍用地に指定し、古賀善次との間に地代契約を結んだのは、1958年(昭和33)7月となっている。
ちなみに国有地である大正島も射爆撃場に指定されている(FAC 6085 赤尾嶼射爆撃場)。もっとも、両射爆撃場はともに、1979年(昭和54)以後は特に訓練は行われていないという。
古賀善次は1978年(昭和53)に死去、その妻の古賀花子も1988年(昭和63)に死去した。善次夫妻にはこどもがいなかったため、古賀辰四郎の直系は断絶している。久場島の所有権は、花子の遺言でK氏に譲渡されることになった(『朝日新聞』1988年1月22日付朝刊3面「南海の無人島、所有者の死去で宙に浮く」、同・1997年8月9日付朝刊22面「「この国」を想う 2 尖閣諸島」)。
さて、1997年(平成9)5月6日、西村眞悟衆議院議員(当時)らが魚釣島に上陸した。この際、橋本龍太郎首相、梶山静六内閣官房長官(当時)をはじめとする政府関係者は、所有者(K氏)が上陸許可を出していないことを根拠として、西村議員らの行動を非難している。特に梶山官房長官は、5月7日の記者会見において、無断上陸は軽犯罪法違反にあたるとの見解を示した(『朝日新聞』1997年5月7日付夕刊「新進党、西村氏らの魚釣島上陸は軽犯罪法違反」、『読売新聞』同日付「尖閣諸島上陸の西村氏らは違法」)。おそらく、軽犯罪法第1条第32号の「入ることを禁じた場所又は他人の田畑に正当な理由がなくて入つた者」に抵触すると思われる(住居も囲みも無いため、住居侵入罪は成立しない)。
1997年8月9日付『朝日新聞』は次のように報じている。
[古賀辰四郎の]息子の善次夫妻は七四年から八八年にかけて、家族ぐるみの親交があった埼玉県大宮市の結婚式場経営者(五五)の一家に四島を約三千八百万円で譲った。七八年に亡くなった善次さんは「(尖閣は)美しい島。自然のままにしてほしい」と言い残した。
結婚式場経営者は、毎年約七十万円の固定資産税を石垣市に支払っている。以前、石原慎太郎元運輸相が「一坪運動」として買い取りを打診してきたが断った。経営者に代わって式場の総務部長(六六)は言う。
「勝手に灯台を建てたり、上陸したり。迷惑なんです。(帰属問題は)国が考えること。そっとしておいてほしい」[『朝日新聞』1997年8月9日付朝刊22面「「この国」を想う 2 尖閣諸島」]
この問題に対して、西村議員側は「日本国の領土を日本国の国会議員が視察することは当然のことで、法的にも瑕疵はない」と主張している(『読売新聞』1997年5月6日付夕刊2面)。(要するに、地主が「入るな」と言っている土地に勝手に入っておいて開き直って威張っている、という状況なのだが、確かに微罪でしかないとはいえ、触法行為の疑いは否定できない。日本国の領土だと主張するのであれば、なおさら、その土地では日本国の法律に従うべきなのではないか?)
2003年(平成15)1月1日付『読売新聞』朝刊は、日本政府(総務省)が前年10月、久場島以外の3島について、K氏から年間約2256万円で借り上げる賃借契約を結んだ、ということをスクープした。同紙は、政府側の考えについて以下のように報じている。
「尖閣は国の固有の領土。これは微動だにしない」(政府関係者)との基本姿勢を踏まえた上で、どうすれば尖閣諸島の民有地を政府が安定して管理できるか、自然環境保護の観点などからも様々な検討が行われ、最終的に「賃借権設定」という手段に落ち着いたという。
国が所有者に相応の賃料を支払うことで、島の転売に一定の歯止めをかけることができるほか、仮に所有者が第三者に転売しても、賃借人としての権利を主張できる。また、国は賃借権に基づき、第三者が不法上陸したり、勝手に建造物を建てたりすることを阻止できる。尖閣諸島では、これまで、日本の政治団体が灯台などを建設したり、国会議員が上陸したりして、中国、台湾側が抗議した経緯がある。
政府は、来年度以降も毎年、契約を更新していく方針という。