2011年12月24日

クリスマスツリーと政教分離原則

 手元に詳しい資料がないので、とりあえずネット上で容易に確認できる記事を示す。

 1964年(昭和39)7月31日、衆議院社会労働委員会[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/046/0188/04607310188060a.html]における林修三・内閣法制局長官の答弁より。

 文脈を確認しておくと、まず、長谷川保(はせがわ・たもつ)委員(日本社会党)が、この年8月15日の全国戦没者追悼式を靖国神社境内で挙行することになったことを、政教分離上問題があるのではないか、という理由から取り上げる。

 なお、全国戦没者追悼式は、日本遺族会などの要望により、1963年から毎年8月15日に開催されることになった(これ以前にも、対日講和条約発効の1952年5月2日と、千鳥ヶ淵戦没者墓苑竣工式の1959年3月28日に開催されている)。最初の1963年は日比谷公会堂での開催であり、翌1964年も当初は同じ場所での開催が閣議決定されていたのだが、それが「遺族等の強い要望」という理由で靖国神社に変更されたのである。社会党からは小林進や滝井義高らも参戦し、政府を追及している。

○長谷川(保)委員 […]御承知のように、全国の公共団体これは国の機関も同様でありますが、国の機関あるいは公共団体におきまして、建築物あるいは橋をつくる、鉄道を敷く、こういうようなときにやはり神道の儀式をもっておはらいその他のことをやるのであります。これに国の金あるいは公共の金が出るとすれば、これは明らかに憲法違反だと思いますけれども、この点は法制局長官としてどう考えられますか。

○林説明員 いまおっしゃったような起工式とか竣工式とかに、いわゆる神式でございますかの行事が行なわれていることは、どうも事実のようであります。これは行ない方にはいろいろあるようでございまして、工事業者がやっている場合もあるようでございますが、しかしやはり公共団体等がみずからやっている例も多いようでございます。この点につきまして私どももかねて考えておるわけでございますが、かつて、実は少し問題は違いますが、例のクリスマスのツリーを国鉄の駅の前に立てたということで問題が起こったことがございます。その際に私ども意見を聞かれまして、ああいうクリスマス・ツリーは、日本においてはすでに宗教的色彩を失って一種の習俗的な行事であるというふうになっているんじゃないか、あれを見て直ちにだれも宗教的感じを抱かないんじゃないか、そういうふうにわれわれ申しまして、あの程度のものはいいじゃないかということを申したことがございます。いまの起工式あるいは竣工式につきましても、実は私ども、すでに日本のいわゆる古来の習俗というようなことになっておるんじゃないか。これはいろいろの例を見ましても、仏教信者がおはらいをするときにもああいうものを使う、あるいは竣工式、起工式にはああいう式をやる、あるいは役所のたとえば火よけに秋葉神社のお札を持ってくるというのは、これは必ずしもその人が神道であるということに結びつかないで、日本においてはすでに一つの習俗的なものになっている、こう考えていいんじゃないかと私ども考えて、そういうようなこととしてどうも認めざるを得ないんじゃないかと思っておるわけでございます。

○長谷川(保)委員 それは全くのひどい話でありまして、これは神の降臨を祈って、御承知のようにのりとも日向の橘之小戸とかなんとかいうことを言う。これは全くの神道の儀式であります。これを単なる習俗ということはいけない。むしろやはり国あるいは公共のものは、そういう宗教を入れる必要はない、何も入れる必要はないのであります。したがって起工式なら起工式、竣工式なら竣工式を無宗教でおやりになればいいのでありまして、そういう形ですでに行なっているところもあります。実業家などでもあります。この間も私はある件で関係したのでありますが、本田モーター、あれなどはもう起工式なんて何もやりません。そういうことでいいんだと思います。[…]

 国鉄(現在のJR)は当時は国有企業(日本国有鉄道)の運営だったため、こうした問題が生じたわけである。

 ちなみに、長谷川(1903-94)はクリスチャンであり、聖隷福祉事業団・聖隷学園などの創立者として知られる社会運動家・教育家でもある。林がクリスマス・ツリーの件を持ち出したのは、クリスチャンである長谷川の批判をかわそうとする狙いから、ということかもしれない。

 結局、翌1965年からは全国戦没者追悼式は日本武道館で行われるようになり、現在に至っている。

 長谷川が問題とした「神道の儀式」すなわち地鎮祭については、のちに津地鎮祭訴訟(1965〜77年)として実際に裁判で争われているが、第一審では習俗的行為として合憲とする判決、控訴審では宗教的行為であり違憲とする逆転判決、上告審では、やはり習俗的行為として合憲とする再逆転判決が下されている(ただし、最高裁判決は裁判官中8名が合憲、5名が違憲と判断したもの)。

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2011年11月20日

「望夢楼」16周年

 というわけで16周年を迎えてしまいました。
 この1年の間、個人的にも、『地図から消えた島々』の上梓と中国・阜陽師範学院への赴任、という大きな変化がありました。
 『地図から消えた島々』は、「望夢楼」の愛読者の方々(これが結構多かったのは嬉しかった)をはじめとして、幸い、かなりのご好評をいただきました。(どうもぼくの書くものは読者を選ぶ癖があるようで、決して万人受けするものではないようですが……。)この機会に、読んでいただいた方々にまとめてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
 なかなか滅多にない機会だったので、限られたスペースに思い切りいろいろなことを詰め込んでしまったのですが、それでも書き足らないことは山のようにあります。そうしたものはいずれ別の機会に書きたいと思っているのですが。
 今はまだ、慣れない日本語教育を手さぐり状態で進めているところですので、なかなか余裕もありませんが、いずれ何か書きたいと思っています。

 ……せっかく安徽省にいるんだから、歴陽伝説(城門にいたずらで血を塗ると洪水が起こって町が沈む、というあの話)の故郷である巣湖市に一度行ってみたいんだけど、同じ安徽省といってもだいぶ遠いからなあ。阜陽は淮河よりも北だし。あと、南京も、近現代史研究者の端くれとしては一度行かなきゃならないよあ。
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2011年09月19日

三好和義『世界遺産・小笠原』

 三好和義氏による小笠原群島の写真集『世界遺産・小笠原』(朝日新聞出版、2011年9月20日発売。 ISBN 978-4-02-250910-9)の巻末に、解説として、小笠原の歴史をごく簡単に書かせていただきました(「無人島(ボニン・アイランズ)小史」, pp. 110-111)。
 他に、出口智弘氏(山階鳥類研究所)の「絶滅宣言を超えて〜アホウドリ繁殖地復元の取り組み」、安井隆弥氏(小笠原野生生物研究会)の「進化の島・小笠原で出会う植物の魅力」、千喜良登氏(小笠原ホエールウォッチング協会)の「イルカとクジラに出会える海」も収録されています。ちなみに、ぼくの執筆分だけ他の執筆者に比べてあからさまに多いのですが、もとの分量では小笠原の短い割に複雑な歴史を正確に説明しきれるかどうか自信がなかったので、無理を言って分量を増やしてもらったものです。

http://rakuen344.jp/
楽園写真家・三好和義公式ウェブサイト

http://publications.asahi.com/
朝日新聞出版

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2011年09月15日

安田浩先生について思い出すことなど

 日記を少し読み返してみた。安田先生の最初の入院は2009年10月のことだった。このときは突然の話であり、特に院生たち(ぼく自身はこのときすでに修了していたのだが、オーヴァードクターとしてゼミには顔を出していた)の間では状況がわからず、しばらく混乱したものである。その後、食道癌で、摘出手術ができないため放射線治療を受けている、という話が伝わってきた。

(19日追記:再確認したところ、間違いがあったので一部修正。安田先生が最初に食道癌と診断されて入院されたのは2007年1〜2月であり、摘出手術ができないので放射線治療を受けた、というのもこのときの話である。ただ、このときは安田先生の側からも、入院のため休講する旨の説明が通知があった。院生の間で混乱があったのは、2009年10月の、2度目の入院のときの話である。)

 11月にいったん復帰されたものの、2010年の春休みに再入院。その後に再復帰されたものの、2010年6月末を最後に授業を停止して再々入院となっていた。その後、今年(2011年)はじめにはまた再々復帰されたという話も噂に聞いていたのだが、タイミングが合わずにお目にかかる機会を逸していた。そういうわけで、この1年くらいの間は、直接お会いする機会がなく(実際、2010年6月を最後に、お会いしたという記憶がない)、それだけでも大きな心残りになってしまった。
 ついでながら、ぼくが2010年前期に、半期だけではあるが学部の「日本近代史a」の授業を受け持つことになったのも、もとはといえば安田先生が休講されるため代理が必要、という理由からである。
 入院の合間をぬうような形で大学院のゼミに顔を出した先生は、食道をやられているために声はたいへん弱々しく、そのくせ指導の厳しさはいつもとほとんど変わらず、院生が少しでもいい加減な報告をすると、容赦なく斬り込みを入れてくるのだった。

 ぼく自身も、ゼミでは批判されたことのほうが圧倒的に多い。論理的破綻については厳しく突っついてくるし、史資料の無批判な引用など、少しでも隙があると容赦なく突っ込んでくる。といって正確だが何の新しい知見もないような、論文の体をなしていないようなものも、当然のごとく批判する。『「皇国史観」という問題』についても、ほんとうはもっと言いたいことがあったのではないか、と思う。とはいえ修了後は「長谷川くんならもう就職できていいんだけど」と期待されていたこともあり、きちんとその期待に応えることができなかったのも心残りではある。
 とはいえ、後輩であるMくん(博士課程在籍のまま上海の大学に赴任中)の追悼文などを見ると、やはり現役の院生のほうが衝撃は大きいのではないかと思う。

http://blog.goo.ne.jp/mimutatsu1008/e/67932d6e1381199c264db9551bbd6981
安田浩先生のこと(2011-09-14 23:41:37)

 『歴史学研究』第877号(2011年3月)に、伊藤之雄氏に対する批判(「法治主義への無関心と似非実証的論法――伊藤之雄「近代天皇は『魔力』のような権力を持っているのか」(本誌831号)に寄せて」)が掲載された(※)が、その論調が、いかにも大学院ゼミでの院生の報告(それも、どちらかといえば出来の悪い方の……)に対する批判の調子そのままなので、苦笑させられたものである。
 発表当時、じつはすでにご本人も死期を悟っていて、今のうちに言いたいことを言っておこうと思っていたのでは、という噂があった。結局のところ、やはりそういうことだったんだろうか、と思う。
 なお、同論文も収録されるらしい最後の著作(これも死期を悟ってまとめられていたものなのだろうが……)『近代天皇制国家の歴史的位置』が、大月書店より10月7日より発売されるとのことである。

http://www.otsukishoten.co.jp/book/b94085.html
ISBN 9784272520855

 中国ではなかなか入手も難しそうだが、なるべく早く読みたい。


(※)なお、この批判が掲載されるまでの議論の経緯については、当事者のひとりである瀬畑源くんの blog に詳しい。以下を参照のこと。

http://h-sebata.blog.so-net.ne.jp/2006-10-05
書評:伊藤之雄『昭和天皇と立憲君主制の崩壊』

http://h-sebata.blog.so-net.ne.jp/2007-08-29
伊藤之雄氏「近代天皇は「魔力」のような権力をもっているのか」について

http://h-sebata.blog.so-net.ne.jp/2011-02-26
3年前の手紙


 ……あまり心残り心残りいっても仕方ない。自分にできるだけのことをがんばってこ。
posted by 長谷川@望夢楼 at 18:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 歴史学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月13日

安田浩先生の訃報

(以下の文章の大部分は11〜12日に書いたものの、訃報がマスメディアに流れるまで公表を差し控えていたものです。すでに『東京新聞』 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/obituaries/CK2011091302000102.html などで訃報が流れましたので、こうして公表します。)

 9月10日。恩師の一人である安田浩先生が、10日に亡くなられた旨を、三宅明正先生から知らされた。
 ここ数年は癌のため何度も入退院を繰り返しており、それなりに覚悟はしていたのだが、不肖の弟子の一人として、悲しく残念な気持ちが無い、といえば大嘘になる。阜陽での授業が始まったばかりで、おまけに日本へ行くだけでも2日は見込まなければならない僻遠の地とあっては、今すぐ日本に帰れるわけもなく、中国から悼むことしかできないのが残念である。(じつは、しばらくお会いする機会が無く、赴任直前に直接ご挨拶をする機会がなかったので、それだけでも心残りなのである。)

 たまに誤解されるのだが、ぼくの千葉大学での学部以来の主任指導教員は三宅明正先生である。なぜかというと理由は単純で、ぼくが1995年に学部に入学した時点では、まだ安田先生は埼玉大学におられたからだ。とはいえ、修士論文と博士論文の副指導教員であるから、恩師であることには変わりない。
 院生の指導には厳しいほうで、特に、何よりも発表内容や論文の論理的整合性を重んじ、つじつまの合わない発表、思い込みが勝って論理構成が破綻しているような発表などについては容赦のない突っ込みを入れる方であった。とはいえ、それで鍛えられた院生は多いと思う。
 本当に残念なのは、結局、学位論文(『「皇国史観」という問題』)の「その次」をついに見せることができなかったことである。『地図から消えた島々』は差し上げたけれど。まあ、これからも学問研究と、そして今いる「中国」と向き合うことが、少しでも恩返しになれば……と思っている。
 ともあれ、あの独特の笑い声がもう聞けないのかと思うと、寂しい。

 他にも書くべきことと書きたいことはあるのだけれど、ひとまずはこの辺で。今晩の通夜は阜陽から祈らせていただくことにする。
 ……追悼のため『天皇の政治史』を読み返したいのだが、あいにく手元にないのだった。
posted by 長谷川@望夢楼 at 13:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月03日

阜陽無事到着

こちらでもお知らせしておきますが、8月25日に阜陽に無事到着、ようやく本日(9月3日)になってネット回線がつながりました。まずは取り急ぎお知らせのみ。
posted by 長谷川@望夢楼 at 18:42| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月22日

サブブログ「阜陽日記」

 家族・知人への連絡(安否確認)用に、goo ブログにサブブログ「阜陽日記」を作りました。「日夜困惑日記」では身辺雑記は滅多に書かないので、使い分ける予定です。
http://blog.goo.ne.jp/boumurou

「望夢楼」「日夜困惑日記」が更新困難な場合(いまのところ無いと思いますが)、「阜陽日記」の方でご案内をさせていただくことがあります。
posted by 長谷川@望夢楼 at 04:48| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月14日

阜陽師範学院(中国)赴任のご挨拶

 唐突なお知らせで申し訳ありませんが、私、長谷川亮一は、このたび今年(2011年)9月より、中華人民共和国安徽省阜陽市の阜陽師範学院 http://www.fync.edu.cn/ に、日本語の講師として赴任することになりました。
 ウェブサイトの管理・運営は、今のところ可能な限り続けていく予定です。メールアドレスの変更もありませんので、必要がある場合はメールにて問い合わせていただけるようお願い申し上げます。
 出発は8月24日の予定です。諸事情で各方面への通知が遅れ、出国直前になってしまったことをお詫び申し上げます。
 なにぶんにも未経験の外国での生活であるゆえ、不安がないといえば嘘になりますが、なんとかきちんと生活していこうと思っている次第です。
posted by 長谷川@望夢楼 at 15:44| Comment(1) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月15日

アタオコロイノナは北杜夫の創作ではない

 北杜夫の『どくとるマンボウ航海記』(1960年)および『どくとるマンボウ昆虫記』(1961年)ほかに登場するマダガスカル神話の「アタオコロイノナ」について、北の創作である、という誤解が一部で広まっているようである。日本語版ウィキペディアの「アタオコロイノナ」の項には、「北杜夫の著作以外の登場が無いこと、多くの研究者のフィールドワークの報告や様々な神話集・伝承集などに一切記述が無いことなどから、実際は北杜夫の創作した神であると考えられる。」などと書かれてしまっている(上記の記述は2009年2月17日の版で付加、2009年9月24日の最新版まで修正なし)。

 北自身、『昆虫記』で「これはマダガスカル南西部に残る正統な伝説である」と書いてあるだけで、はっきりとした典拠を示していないという問題はあるのだが、少なくとも、「様々な神話集・伝承集などに一切記述が無い」というのは間違い。これは、 Google ブック検索で “Ataokoloinona” を検索してみれば、すぐにわかることである(→検索結果)。

 たとえば、 Felix Guirand (ed.), Richard Aldington & Delano Ames (transl.), New Larousse Encyclopedia of Mythology, London: Hamlyn Publishing, 1968, pp. 473-474 に、次のようにある。

A legend of south-west Madagascar deals with the origins of death and rain among the Malagasy, and at the same time explains the appearance of mankind on earth.

‘Once upon a time Ndriananahary (God) sent down to earth his son Ataokoloinona (Water-a-Strange-Thing) to Look into everything and advise on the possibility of creating living beings. At his father's order Ataokoloinona left the sky, and came down to the globe of the world. But, they say, it was so insufferably hot on earth that Ataokoloinona could not live there, and plunged into the depths of the ground to find a little coolness. He never appeared again.

‘Ndriananahary waited a long time for his son to return. Extremely uneasy at not seeing him return at the time agreed, he sent servants to look for Ataokoloinona. They were men, who came down to earth, and each of them went a different way to try to find the missing person. But all their searching was fruitless.

‘Ndriananahary's servants were wretched, for the earth was almost uninhabitable, it was so dry and hot, so arid and bare, and for lack of rain not one plant could grow on this barren soil.

‘Seeing the uselessness of their efforts, men from time to time sent one of their number to inform Ndriananahary of the failure of their search, and to ask for fresh instructions.

‘Numbers of them were thus despatched to the Creator, but unluckily not one returned to earth. They are the Dead. To this day messengers are stiu sent to Heaven since Ataokoloinona has not yet been found, and no reply from Ndriananahary has yet reached the earth, where the first men settled down and have multiplied. They don't know what to do – should they go on looking? Should they give up? Alas, not one of the messengers has returned to give up information on this point. And yet we still keep sending them, and the unsuccessful search continues.

‘For this reason it is said that the dead never return to earth. To reward mankind for their persistence in looking for his son, Ndriananahary sent rain to cool the earth and to allow his servants to cultivate the plants they need for food.

‘Such is the origin of fruitful rain.’

[大略――南西マダガスカルにつたわる神話によれば、神ンドリアナナハリ(ヌドリアナナハリ)は、その息子アタオコロイノナを、地上に生命を生み出すことが可能かどうかを調べさるために、地上に使わした。ところが、そのころの地上はものすごく熱かったので、アタオコロイノナは地下にもぐりこんでしまい、そのまま姿を消してしまった。ンドリアナナハリは、息子が帰ってこないので、それを捜すために使用人を地上につかわせた。すなわち、これが人間の起源である。しかしアタオコロイノナがどうしても見つからないので、人間はンドリアナナハリに使者を寄こして新たなる指示をあおごうとした。これがすなわち「死」の起源である。しかし、ンドリアナナハリのもとに派遣した使者は誰一人として戻ってこなかった。そのため人間はいまだにアタオコロイノナを捜し続けている。また、雨は、ンドリアナナハリが、人間がアタオコロイノナを捜しやすくするよう、地上を冷やし、食べ物をもたらすために降らせているものである。]

 話の筋は、北が『昆虫記』で紹介しているものとほぼ同じ。 “Water-a-Strange-Thing” がもし “What-a-Strange-Thing” の間違いだとすれば、確かに、北のいうところの「何だか変てこりんなもの」ということになる。なお、マラガシ語(マダガスカル語)の表記法では o は /u/ と発音されるそうなので、 Ataokoloinona は、より正確には「アタウクルイヌナ」となるのかもしれない。

タグ:読書
posted by 長谷川@望夢楼 at 20:24| Comment(3) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月20日

『地図から消えた島々』本日発売

とりあえずエントリを立てておきます。

http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b87031.html
出版社(吉川弘文館)の紹介ページ

http://homepage3.nifty.com/boumurou/mybooks/2011islands.html
著者による紹介・サポートページ

posted by 長谷川@望夢楼 at 01:56| Comment(4) | TrackBack(0) | 著書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする