前のエントリを読み返していて思い出したことをひとつ。
『千葉県の歴史 別編 年表』(千葉県、2009年)の編纂作業に携わっていたときに、どうしても正確な日付が確定できなかった事項がいくつかある。この年表では、日付の明示と、『近代日本総合年表』並みの出典明示を編集方針にしていたのであるが、信憑性の高い文献では日付が明示されていない、という厄介な問題がいくつも発生してしまったのだ。
たとえば行川アイランド(勝浦市、2001年閉園)の開園日付。ネット上では「1964年(昭和39)8月13日」という日付が流布しているが、これは、もとはといえば『千葉大百科事典』(千葉日報社、1982年)の「行川アイランド」の項に基づいたものと思われる。ところが、この『千葉大百科事典』は間違いが多くて信頼性に欠け、年表編纂の際、典拠として使うのは一切止めよう、という申し合わせができてしまったほどの困った代物なのだ。で、それに代わるものとして新聞報道を捜してみたものの、開園を報じた記事がいくら探しても見つからない。結局、開園1年後くらいの頃に『千葉日報』で「昨年五月に開店」とかなんとか報じられていたのを見つけ出し、なんとかその記事を典拠として「5- 行川アイランドが開業する.」という恰好をつけてみたのだが、個人的には、今でもこの日付はどうにかならないかと思っている。
もうひとつが、「三里塚・芝山連合空港反対同盟」(以下「連合反対同盟」と略記)の結成日付である。成田空港反対運動の中心であり、戦後千葉県史を語るうえで絶対に避けて通れることのできないこの組織であるが、じつは、どうしてもその結成日付が特定できなかったのだ。もちろん、些事ではあるのだが……。
まず、『年表』の1966年(昭和41)の「社会・文化・その他」の項には次のようにある。
〔6月〕 -28 三里塚新国際空港設置反対同盟が結成される(三里塚空港反対同盟). -30 三里塚空港設置反対芝山地区同盟が結成される(芝山町空港反対同盟).
〔7月〕 -10 三里塚空港反対同盟と芝山町空港反対同盟共催の新空港閣議決定粉砕総決起大会が開かれる(のちに三里塚芝山連合空港反対同盟へ進展,委員長戸村一作).
「のちに」という曖昧な書き方(ぼくが挿入したんだが)が情けないが、こうとしか書けなかった。
二次文献を見ると、たとえば『新東京国際空港公団20年のあゆみ』(1987年)などが7月10日説、『千葉県議会史 議員名鑑』(1985年)、『成田市史 近現代編』(1986年)などが8月20日説をとっている。連合反対同盟(熱田派)も関与した『成田空港問題シンポジウム記録集〈資料編〉』(1995年)にいたっては、7月10日説と8月22日説が両方登場する、というありさまなのである。ちなみに、先ほど信頼できないと書いた『千葉大百科事典』は12月説である。その他、県側、警察側、反対運動側などの関連文献に片っ端から当たってみたのだが、大きく分けて7月10日説と8月20日説に分かれるものの、他にも7月4日だとか11月とかいうものもあったりして、いずれが正しいのかがさっぱりわからない。
厄介なのは、当事者の記述ですら信頼できるとは限らない、ということだ。たとえば、連合反対同盟(北原派)事務局長である北原鉱治氏の著書『大地の乱 成田闘争』(御茶の水書房、1996年)には、8月20日に開かれたという結成大会の回想が細かく記されている。北原氏は、戸村一作委員長とともに、最も初期から反対運動に取り組んだ活動家の一人であり、連合反対同盟が1980年代に熱田・北原・小川の三派に分裂、熱田派と小川派が空港容認に転じたのちも、現在もなお空港反対の旗を降ろしていない。そういう人物の記述なら信頼できる、と思われるかもしれない。ところが、実際には8月20日には、そもそもそんな大会など開かれていないのである。じつは、北原氏が回想しているのは、6月28日に開かれた三里塚空港反対同盟結成大会のことなのだ。この調子では、二次文献はまず信用できないことになる。
それでは一次史料はどうなのか。初期反対運動の主要な史料は『成田市史 現代編史料集』(成田市、1984年)と『千葉県の歴史 資料編 近現代9(社会・教育・文化3)』(千葉県、2007年)に収められているのだが、どちらを見ても結成の日付が出てこない。千葉県立中央図書館は反対運動のビラなども保存しているが、それを見てもよくわからない。
結局、同時代的な新聞報道に当たらなければ結論が出ないことになる。そこで『千葉日報』および『朝日』『読売』などの千葉版を追ってみてわかったことは以下の通り。
まず、7月10日には確かに決起大会が開かれているが、連合反対同盟を結成したという記述はない。また、先述したとおり、8月20日には何の会合も開かれた形跡がない。
そして、8月23日付『朝日新聞』千葉版「統合へ近く合同委員会/芝山町と三里塚の反対同盟」に、次のようにある。
三里塚新国際空港反対同盟(戸村一作委員長)はこのほど開いた委員会で、隣接する山武郡芝山町の反対同盟(瀬利誠委員長)と統合し、三里塚空港設置三里塚・芝山統合反対同盟(仮称)を発足させることを申合わせた。
「このほど」というのが曖昧だが、この委員会は8月22日に開かれたと見てよさそうである。
次に、10月1日付『読売新聞』千葉版「あす撃退総決起大会/反対同盟 一万人動員し阻止へ」には、以下のようにある。
三里塚空港反対同盟〔…〕はあす二日午後一時から成田市営グラウンドで“空港撤回、公団撃退総決起大会”を開く。
この大会は〔…〕山武郡芝山町の空港反対同盟と、今後共闘して、空港建設を阻止することに大きなねらいがあるわけで、あらたに「三里塚芝山連合新国際空港反対同盟」を結成する。
これを見ると、10月2日の大会で連合反対同盟が成立したかのように見える。たしかに、10月3日付新聞各紙の報道によれば、この大会は「三里塚・芝山連合新空港反対同盟」名義で行われているのだが、どういうわけか、この連合反対同盟が新しく結成された、という記述がないのである。
以上から見ると、8月22日申し合わせ、10月2日結成と推測できるのだが、はっきりそうと述べた記事がない以上、断定ができない。それに、新聞はしばしば間違いを犯すものである。結局、10月2日の大会は年表に載らなかった。