2010年03月10日

『国体の本義』について若干

 佐藤優『日本国家の神髄――禁書『国体の本義』を読み解く』(産経新聞出版/扶桑社=発売、2009年12月)は、「私は『国体の本義』の読み解きを通じて、読者を高天原に誘いたいと考えている。その意味で、本書は、アカデミックな研究と本質において性格を異にする」(p. 246)と、学術的な書物でないことを自認しているような書物である。だが、『国体の本義』というテキストそのものに対して、誤解、もしくは誤解をまねきかねない記述が何か所か見られる。一般の人にとってはどうでもいいことかもしれないが、いちおう研究者の端くれとしては見逃す気になれないので、簡単に記しておく。

佐藤〔優〕 それから『国体の本義』(文部省教学局)も外せない。
立花〔隆〕 〔…〕〔『国体の本義』は〕何人かの右翼系国粋主義学者の共同執筆です。中心的執筆者の一人が橋田邦彦で、彼は当時東大医学部の教授であるとともに、文部省の思想視学委員をつとめ、同時に一高の校長も兼任していた。〔立花隆+佐藤優『ぼくらの頭脳の鍛え方――必読の教養書400冊』文春新書、2009年。 佐藤『日本国家の神髄』, pp. 4-5 より重引〕

 まず、「文部省教学局」という註記がおかしい。立花隆は『天皇と東大』(2005年)でも『国体の本義』を文部省教学局の編纂としているが、じつは『国体の本義』の編纂を担当したのは教学局ではなく、その前身の文部省思想局である。

 『国体の本義』には、1937年(昭和12)3月30日付発行の「文部省」版と、同年5月31日付発行の「内閣印刷局」版が存在する。ただし、いずれの発行年月日も予算上の都合によるもので、実際の頒布は同年秋以降であったらしい。それはともかく、いずれの編纂者も、単に「文部省」となっている。そもそも、教学局が設置されたのは1937年7月21日であり、発行日の時点でまだ存在しない部局が、編纂も発行もできるわけがない。

 瑣末なミスではないかと思われるかもしれないが、立花も佐藤も、正確な編纂過程についてきちんと把握しないまま『国体の本義』について論じているのではないか、という疑問が湧くのである。

 そして、「中心的執筆者の一人が橋田邦彦」という立花の発言は、この疑問をさらに深める。そもそも、橋田邦彦(1882-1945)が『国体の本義』の編纂に関与している、という説は、寡聞にして聞いたことがない。同書の編纂委員は吉田熊次・紀平正美・和辻哲郎・井上孚麿・作田荘一・黒板勝美・大塚武松・久松潜一・山田孝雄・飯島忠夫・藤懸静也・宮地直一・河野省三・宇井伯寿の14名、編纂嘱託は山本勝市・大串兎代夫・志田延義・小川義章・近藤寿治・横山俊平・清水義暲・藤岡継平・藤本萬治・佐野保太郎の9名である。橋田邦彦は直接何の関与もしていないのだ。そして、このうち実際に本文を執筆したのは国文学者の志田延義(しだ・のぶよし 1906-2003. 国民精神文化研究所助手=当時)であることが、本人の証言で明らかになっている(以上、土屋忠雄「「国体の本義」の編纂過程」『関東教育学会紀要』第5号、1978年11月、貝塚茂樹「昭和16年文部省教学局編纂『臣民の道』に関する研究(1)」『戦後教育史研究』第10号、1995年3月、久保義三『昭和教育史』三一書房、1994年/東信堂、2006年、等を参照)。

 あるいは、立花は『国体の本義』と『臣民の道』(1941年7月刊行)と混同したのかもしれない。同書は教学局編纂・内閣印刷局発行だし、橋田邦彦は同書刊行の時点では文部大臣(在任1940年7月〜1943年4月)であるからである。だとしても、両者はあくまで別の本であり、この間違いはいただけない。

 立花はもちろん、佐藤もこの間違いに気づいていないことは、佐藤が『日本国家の神髄』の中で上記の対談を引用した上、『国体の本義』には橋田が関与していることから自然科学的見地も取り込んでいる、などと主張していることからもわかる。そして、その『日本国家の神髄』の中での『国体の本義』の説明にも、いささか首をひねりたくなる箇所がいくつかある。

 親日保守の確立について考察するときに、ゼロ(零)から始めるのではなく、同様の課題に日本が直面したときの事例から学ぶことが重要だ。私は、そのような事例として、昭和一二(一九三七)年に文部省教学局が刊行した読本『国体の本義』を読み解くことが有益であると考える。
 しかし、『国体の本義』は、大東亜戦争敗北後、米占領軍が封印してしまい、忘れ去られたテキストとなってしまっている。〔佐藤『日本国家の神髄』, p. 28.〕

 刊行者が教学局ではないのは先述した通り。 GHQ/SCAP (連合国最高司令官総司令部)が『国体の本義』の絶版措置を求めたのは事実で、1945年(昭和20)12月22日15日付の SCAPIN-448 (いわゆる「神道指令」)の中に「「国体の本義」、「臣民の道」乃至同種類ノ官発行ノ書籍論評、評釈乃至神道ニ関スル訓令等ノ頒布ハ之ヲ禁止スル」という条項がある。ただし、じつはそれ以前の1945年10月5日付で、文部省が自主的に絶版・廃棄措置をとっている。もっとも、この事実は当時は非公式にしか発表されず、そのためあまり知られていないのも確かである(手前味噌で恐縮であるが、拙著『「皇国史観」という問題』を参照)。また、『国体の本義』は政府の公式見解として発行された政府刊行物なので、 GHQ/SCAP による一般書の検閲と同列に扱うべきではないだろう。「封印」だの「禁書」だのといったおどろおどろしい表現が適切とは思えないのだが。

 この本は『国体の本義』の全文を再録していることが売りの一つであるが、それについて佐藤はこんなことを書いている。

〔…〕GHQ(占領軍総司令部)によって『国体の本義』が禁書にされた後、その全文が書籍化されるのは、私が知る限り、はじめてのことである。〔佐藤『日本国家の神髄』, p. 34.〕

 はい、あなたが知らないだけです(きっぱり)。

 少なくとも、『近代日本教育制度史料』第7巻(大日本雄弁会講談社、1956年)にほぼ全文(凡例を除く)が収録されているし、さらに『戦後道徳教育文献資料集』第1期第2巻(日本図書センター、2003年。ISBN 4-8205-8837-0)として、『臣民の道』とセットで復刻されている。いずれも図書館・研究者向けのものであるが、全く復刻がないわけではないのである。前者は知らないと気付かないかもしれないが、後者は Webcat Plus なり国立国会図書館 NDL-OPAC なりで検索すればすぐに見つけることができる。真面目に探す気がなかったとしか思えない。

 なお、ろくに復刻されていないのは、おそらく、発行部数がやたらと多いために入手・閲覧が容易であり、研究者向けの復刻版作成の需要が乏しかったことと、悪い意味で教科書的であるために、読み物としても経典としてもあまり魅力がない、ということによるものだろう。

 『日本国家の神髄』は『正論』に連載されたものをまとめたものだが、誰も指摘しなかったんだろうか?

posted by 長谷川@望夢楼 at 03:54| Comment(6) | TrackBack(0) | 歴史教育・教科書・歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月09日

「韓国からみた日韓歴史葛藤」

「韓国からみた日韓歴史葛藤」『公共研究』(千葉大学大学院社会文化科学研究科)第4巻第1号(2007年6月)
http://mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/ReCPAcoe/41hasegawa.pdf

 2007年1月18日に千葉大で開かれた、河棕文・韓神大学(韓国)教授の講演「韓国からみた日韓歴史葛藤」を、私がまとめたものがPDFファイルとしてオンライン公開されています。韓国内においては、1990年代までは「反日感情」がナショナルな共通認識として存在してきたが、現在では「保守/革新」「親日/反日」「親北/反北」「親米/反米」といった思想的分裂と複雑な葛藤が生じており、それらが日本国内での歴史葛藤と連関している、という趣旨。

(しまった……今頃になって重大な誤記を発見。214頁に「日韓の保守の『反日連帯』」とあるが、これでは意味が通じないではないか。『反北連帯』の間違いです。すみません。)
ラベル:歴史認識
posted by 長谷川@望夢楼 at 17:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史教育・教科書・歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月15日

ヤスクニ

 「憲法第19条、思想および良心の自由は、これを侵してはならない。これをどう考えるか。まさに心の問題」と言い張り、「8月15日を避けても、いつも批判、反発、そしてこの問題を大きく取り上げようとする勢力、変わらない。いつ行っても同じです」と開き直って靖国神社を参拝した小泉首相の姿を見て、このひとはついに、自分がいったい何を批判されているのか最後の最後まで理解できなかったのだな、といまさらながら情けない気分になる。もとより他人の心の中身をうかがい知ることなどできようはずもないが、政治的なポーズなどではなく、たぶん本気で理解できていないのだろう。――ま、「いつ行っても批判されるのは同じ」というのは確かに間違いではないですけどね。「行くな」という批判なんだから。
 (歴史的経緯はともかく現状としては)国家による追悼施設でもなければそもそも墓ですらなく、天皇のために戦って死んだ(ことになっている)者を、それのみを神として祀っている、そして、近代日本の戦争は基本的にすべて正しい目的にしたがって行われたものであり、なかんずく大東亜戦争はアジア解放のため聖戦だったと主張してはばからない一宗教法人の宗教施設に、一国の首相が参拝する、ということが、いったい周囲にどのように解釈されるのか。靖国神社の思想・主張に同調していると思われているから批判されてるんじゃないか。
 本来、論理的に一貫性を持つ解決策は二つしかないはずである。靖国の思想・主張に同調するか、それとも現在の靖国の思想・主張・性格を理解した上で、(少なくともそれが変わるまでは)参拝を止めるか、のいずれかだ。
 ついでにいえば。
 靖国参拝について何を批判されているのか理解できていない、ということは、そもそも靖国神社の思想・主張を理解できていない、ということである。理解できないまま靖国神社に独自に勝手な意味づけを与えている、ということである。(だからこそ、例の富田メモについては、結局、無視することになったのだろう。天皇のために死んだ者を祀る(ことになっている)神社にとって、その祀られた者について昭和天皇が不快に思っていた、ということは、深刻なアイデンティティの危機であるはずだからだ。)
 そういう意味では――首相の参拝は、靖国神社(およびその思想・主張を支持する側)にとっても、決してありがたい話だとばかりは思えないのだけど。
posted by 長谷川@望夢楼 at 20:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史教育・教科書・歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月13日

「つくる会」教科書:レザノフはどこへ行った?

 ところで、教科書展示の際に「つくる会」教科書をぱらぱらとめくっていて、ふと、以下の記述が気になった。

ロシアは,酷寒の地シベリアを経営するための食料など生活必需品の供給先を,日本に求めようと考えた。そこで,1792(寛政4)年,最初の使節ラックスマンを日本に派遣し,日本人漂流民を送りとどけ,幕府に通商を求めた。
 鎖国下の幕府がこれを拒絶すると,ロシアは樺太(サハリン)や択捉島にある日本の拠点を襲撃したので,ロシアに対する恐怖感が高まった。(p.120)

 ……これって、誤解を招くというよりも、もはや間違いの域に達してるんじゃないだろうか。

 まず、レザノフの名前が抜け落ちているのがおかしい。1792年にラクスマンが来航した際、幕府は長崎への入港許可証を交付している。1804年、露米会社総支配人ニコライ・レザノフは、その入港許可証を持って、ロシア皇帝の正式使節として長崎に来航した。しかし幕府は通商を全面的に拒絶。これに憤ったレザノフは、1806年、露米会社の部下であった二人の軍人、ニコライ・フヴォストフとガヴリル・ダヴィドフに日本北方の攻撃を命じた。武力行使によって日本との交易を開かせようとしたのである。フヴォストフとダヴィドフは、それに従い私的に樺太・択捉襲撃事件(フヴォストフ事件、文化の露冦。1806-07)を引き起こした――というのが、事件の大まかな経緯である。「ロシアは……襲撃した」と書くと、まるでロシア政府が公式に日本攻撃を計画したように読めるが、実際は、この事件自体はフヴォストフとダヴィドフの私的な海賊事件にすぎない。確かに「ロシアに対する恐怖感が高まった」のは事実であるが。

 そもそも、その前段の「シベリアを経営するための食料など生活必需品の補給先を,日本に求めようと考えた」というのも少し怪しい。ラクスマンの場合は漂流民(大黒屋光太夫一行)の送還が主目的だったし、レザノフの場合、彼が気にかけていたのはシベリアではなく、自らが露米会社総支配人として経営していたロシア領アメリカ(アラスカ)である。

 だいたいロシアは、当時日本で思われていたほど、日本との関係樹立に熱心だったわけではない。そのことは、1813年にゴロヴニン事件(1811年、国後島を測量中のディアナ号艦長ゴロヴニンが日本側に逮捕された事件)が解決した後、1853年にプチャーチンが長崎に来航するまで、実に40年間にわたって直接交渉が途絶えていることからも明らかである。

 気になって旧版(市販本)の該当部分を確認してみると。

ロシアは,酷寒の地シベリアを経営するための食料など生活必需品の供給先を,日本に求めようと考えた。そこで,18世紀末から19世紀はじめにかけて,使節を日本に派遣し,通商を求めた。
 幕府がこれを拒絶すると,ロシアは樺太(サハリン)や択捉島にある日本の拠点を襲撃したので緊張が高まった。(p.154)

 ……なるほど、改訂で「ラックスマン」という固有名詞を入れてしまったがゆえの失敗か。

posted by 長谷川@望夢楼 at 22:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史教育・教科書・歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

栃木県大田原市教育委員会、「つくる会」教科書を採択

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050713-00000002-san-soci

 まことに困ったものである。そういえば前回、最初に「つくる会」教科書を採択した(直後に撤回)のは、同じ栃木県の下都賀地区だったが、栃木には県としてそういう傾向でもあるんだろうか。

 今年の教科書展示は、たまたま間が悪くて1度しか見に行けず、問題の扶桑社版(「つくる会」教科書)も軽くざっと見ただけにすぎないのだが、その上での感想を記しておく。
 4年前は、他社の社会科教科書がすべてB5判で、キャラクタ等を使ったヴィジュアルな構成になっていたのに対し、扶桑社版だけは唯一A5判で、体裁的にも内容的にも完全に一社だけ浮いていた。それに対して今回の版は、他社と同じB5判となっており、一見したところ受ける印象はだいぶ変わっている。また、「弟橘媛」「訓読みと訓読の混同」「アメノウズメのストリップ」「白旗書簡」「地中海で撃沈された架空の日本艦」など、前回さんざん莫迦にされた部分は、おおむね訂正されているようである。
 とはいえ、フェリペII世と豊臣秀吉を対決させようとしたり、大西洋艦隊の日本派遣を特筆大書したり(さすがに「白船事件」という表記は消えている)するような変な部分はまだ以前として残っているし、なにより「公」「国」をむやみに強調しようとする基本理念は変わってない。

 前回の採用阻止運動の中で、「初歩的な間違いを指摘する」という戦術が取られたのに対し、「短期的な戦術としては有効かもしれないが、次回の検定では指摘された間違いは直されるはずで、そうすると長期的にはむしろ相手(「つくる会」)を利することにならないか?」という意見があった。新版を見ていると、その危惧がどうやら当たってしまったのではないか、という気がする。体裁も他社と同じになったことで、かえって採用しやすくなってしまったのではないだろうか。
posted by 長谷川@望夢楼 at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史教育・教科書・歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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