佐藤優『日本国家の神髄――禁書『国体の本義』を読み解く』(産経新聞出版/扶桑社=発売、2009年12月)は、「私は『国体の本義』の読み解きを通じて、読者を高天原に誘いたいと考えている。その意味で、本書は、アカデミックな研究と本質において性格を異にする」(p. 246)と、学術的な書物でないことを自認しているような書物である。だが、『国体の本義』というテキストそのものに対して、誤解、もしくは誤解をまねきかねない記述が何か所か見られる。一般の人にとってはどうでもいいことかもしれないが、いちおう研究者の端くれとしては見逃す気になれないので、簡単に記しておく。
佐藤〔優〕 それから『国体の本義』(文部省教学局)も外せない。
立花〔隆〕 〔…〕〔『国体の本義』は〕何人かの右翼系国粋主義学者の共同執筆です。中心的執筆者の一人が橋田邦彦で、彼は当時東大医学部の教授であるとともに、文部省の思想視学委員をつとめ、同時に一高の校長も兼任していた。〔立花隆+佐藤優『ぼくらの頭脳の鍛え方――必読の教養書400冊』文春新書、2009年。 佐藤『日本国家の神髄』, pp. 4-5 より重引〕
まず、「文部省教学局」という註記がおかしい。立花隆は『天皇と東大』(2005年)でも『国体の本義』を文部省教学局の編纂としているが、じつは『国体の本義』の編纂を担当したのは教学局ではなく、その前身の文部省思想局である。
『国体の本義』には、1937年(昭和12)3月30日付発行の「文部省」版と、同年5月31日付発行の「内閣印刷局」版が存在する。ただし、いずれの発行年月日も予算上の都合によるもので、実際の頒布は同年秋以降であったらしい。それはともかく、いずれの編纂者も、単に「文部省」となっている。そもそも、教学局が設置されたのは1937年7月21日であり、発行日の時点でまだ存在しない部局が、編纂も発行もできるわけがない。
瑣末なミスではないかと思われるかもしれないが、立花も佐藤も、正確な編纂過程についてきちんと把握しないまま『国体の本義』について論じているのではないか、という疑問が湧くのである。
そして、「中心的執筆者の一人が橋田邦彦」という立花の発言は、この疑問をさらに深める。そもそも、橋田邦彦(1882-1945)が『国体の本義』の編纂に関与している、という説は、寡聞にして聞いたことがない。同書の編纂委員は吉田熊次・紀平正美・和辻哲郎・井上孚麿・作田荘一・黒板勝美・大塚武松・久松潜一・山田孝雄・飯島忠夫・藤懸静也・宮地直一・河野省三・宇井伯寿の14名、編纂嘱託は山本勝市・大串兎代夫・志田延義・小川義章・近藤寿治・横山俊平・清水義暲・藤岡継平・藤本萬治・佐野保太郎の9名である。橋田邦彦は直接何の関与もしていないのだ。そして、このうち実際に本文を執筆したのは国文学者の志田延義(しだ・のぶよし 1906-2003. 国民精神文化研究所助手=当時)であることが、本人の証言で明らかになっている(以上、土屋忠雄「「国体の本義」の編纂過程」『関東教育学会紀要』第5号、1978年11月、貝塚茂樹「昭和16年文部省教学局編纂『臣民の道』に関する研究(1)」『戦後教育史研究』第10号、1995年3月、久保義三『昭和教育史』三一書房、1994年/東信堂、2006年、等を参照)。
あるいは、立花は『国体の本義』と『臣民の道』(1941年7月刊行)と混同したのかもしれない。同書は教学局編纂・内閣印刷局発行だし、橋田邦彦は同書刊行の時点では文部大臣(在任1940年7月〜1943年4月)であるからである。だとしても、両者はあくまで別の本であり、この間違いはいただけない。
立花はもちろん、佐藤もこの間違いに気づいていないことは、佐藤が『日本国家の神髄』の中で上記の対談を引用した上、『国体の本義』には橋田が関与していることから自然科学的見地も取り込んでいる、などと主張していることからもわかる。そして、その『日本国家の神髄』の中での『国体の本義』の説明にも、いささか首をひねりたくなる箇所がいくつかある。
親日保守の確立について考察するときに、ゼロ(零)から始めるのではなく、同様の課題に日本が直面したときの事例から学ぶことが重要だ。私は、そのような事例として、昭和一二(一九三七)年に文部省教学局が刊行した読本『国体の本義』を読み解くことが有益であると考える。
しかし、『国体の本義』は、大東亜戦争敗北後、米占領軍が封印してしまい、忘れ去られたテキストとなってしまっている。〔佐藤『日本国家の神髄』, p. 28.〕
刊行者が教学局ではないのは先述した通り。 GHQ/SCAP (連合国最高司令官総司令部)が『国体の本義』の絶版措置を求めたのは事実で、1945年(昭和20)12月22日15日付の SCAPIN-448 (いわゆる「神道指令」)の中に「「国体の本義」、「臣民の道」乃至同種類ノ官発行ノ書籍論評、評釈乃至神道ニ関スル訓令等ノ頒布ハ之ヲ禁止スル」という条項がある。ただし、じつはそれ以前の1945年10月5日付で、文部省が自主的に絶版・廃棄措置をとっている。もっとも、この事実は当時は非公式にしか発表されず、そのためあまり知られていないのも確かである(手前味噌で恐縮であるが、拙著『「皇国史観」という問題』を参照)。また、『国体の本義』は政府の公式見解として発行された政府刊行物なので、 GHQ/SCAP による一般書の検閲と同列に扱うべきではないだろう。「封印」だの「禁書」だのといったおどろおどろしい表現が適切とは思えないのだが。
この本は『国体の本義』の全文を再録していることが売りの一つであるが、それについて佐藤はこんなことを書いている。
〔…〕GHQ(占領軍総司令部)によって『国体の本義』が禁書にされた後、その全文が書籍化されるのは、私が知る限り、はじめてのことである。〔佐藤『日本国家の神髄』, p. 34.〕
はい、あなたが知らないだけです(きっぱり)。
少なくとも、『近代日本教育制度史料』第7巻(大日本雄弁会講談社、1956年)にほぼ全文(凡例を除く)が収録されているし、さらに『戦後道徳教育文献資料集』第1期第2巻(日本図書センター、2003年。ISBN 4-8205-8837-0)として、『臣民の道』とセットで復刻されている。いずれも図書館・研究者向けのものであるが、全く復刻がないわけではないのである。前者は知らないと気付かないかもしれないが、後者は Webcat Plus なり国立国会図書館 NDL-OPAC なりで検索すればすぐに見つけることができる。真面目に探す気がなかったとしか思えない。
なお、ろくに復刻されていないのは、おそらく、発行部数がやたらと多いために入手・閲覧が容易であり、研究者向けの復刻版作成の需要が乏しかったことと、悪い意味で教科書的であるために、読み物としても経典としてもあまり魅力がない、ということによるものだろう。
『日本国家の神髄』は『正論』に連載されたものをまとめたものだが、誰も指摘しなかったんだろうか?