2006年03月10日

「自然科学と、日本の学問と云ふことが、どう違つて来るか」

 ついでながら、紀平にはこんな文章もある。これまた誤解を避けるため、あえてやや長めに引用する。

自然を認識すると云〔い〕ふことは、自然を分析し、分類して自然を我用に供せんとする理論の構成、それが自然科学であります、即〔すなわ〕ち自然よりの搾取の理論であります。さう云ふ意味での自然科学と、日本の学問と云ふことが、どう違つて来るかと云ふことを先〔ま〕づ念頭に置いて考へて戴きたい。

 そして一例を申し上げます。アメリカ人が言うた。日本人は祖先以来何年はなるか知れないが、同じ田に於いて同じ米を作つてゐて然〔しか〕も増収するといふのが不思議だと。あなた方は不思議になりませんか。祖先伝来の田は同じ所に同じ米を作つてゐます。而〔しか〕も増収を図つてゐます。これはアメリカでは絶対に出来ない芸当であります。何ものを作付けしましても三年替りであります。麦を一つ所に蒔〔ま〕きます。同し場所で三年するともう駄目になる。そこで土地をかへるのです。又三年経つてそこへ蒔く。故に日本人のなしゐることは不思議なことにちがひない。そこでわれ等自ら反省して見なくてはならない。すると根本的に精神の働かせやうが違ふのであります。

 第一には、日本人のは南洋人の如くに、自然より搾取すると云ふことでなく自然とともなると云ふ考であります。否、自然もわれも共に神の生み給うた所のもので、われわれとは同胞である。同じく生きてゐるものである。科学的には、いろいろ肥料が出来てゐますけれども、所謂金肥〔きんぴ〕〔化学肥料〕を使ひますと一時は良くなりますが、大地を瘠せらかしてしまひます。若干年経てばもう駄目になるでありませう。金肥を無自覚に使つてはいけない。自然の大循環を工夫した堆肥でなければいけないのであります。〔略〕

 第二には米が又〔また〕水田作であるから可能なのであつて、陸ではいけないことになほ日本人も研究中でありますが、ものによつては、同し場所では二年つづけることも不可能なのがあります。このことを考へるとき皇祖天照大神〔あまてらすおおみかみ〕が特に米を水田に作らせるには専門家に研究せしめられた〔略〕その上で天孫御降臨の場合に特にこの米を神勅を以つて御降しになつたことであります。日本人は米について特別の感謝を払はなくてはならない。今日米の不足といふことは、それを粗末にした神罰と考ふべきでありませう。以上で、西洋の自然科学と日本のとその心得方の相違といふことはお分かりになつたと考へます。

――紀平正美『行と科學』(目黒書店、1941), pp.16-20. 強調は原文傍点。

 どうやら紀平は、水稲栽培が連作障害を起さないのは日本精神とやらのおかげだと思っているらしい。そして、それが西洋自然科学と「日本の学問」とやらの重大な相違を示すものだ、とも思っているらしい。こんなタワゴトを言い出す前に、紀平はまず農家に話を聞きにいくべきだったろう。

 一般に、同じ場所に同じ農作物を何年も続けて栽培していると、その作物は生育不良や病気を起こしやすくなる。「忌地」(いやち)あるいは「連作障害」と呼ばれる現象である。この現象が起こるメカニズムは必ずしもはっきりしていないが、病原微生物の増殖や養分の欠乏、それにアレロパシー(植物自身の出す化学物質が、他の植物などの生育に対して影響を与える現象)などが原因として指摘されている。しかし、中にはこの連作障害を起こさない植物もあって、その代表例が水稲なのである。要するに、日本だろうがアメリカだろうがどこだろうが、同じ場所に米だけを作り続けても何の問題もないが、同じ場所に麦だけを作り続けると連作障害を引き起すのであって、「精神の働かせやう」など何の関係もないのである。まあ、紀平に話をしたアメリカ人が(そして紀平自身も)、単にイネの生態に無知だったというだけの話である。

 化学肥料を「無自覚に使つてはいけない」とか、有機農法の方が優れているとかいった主張自体には賛同される方も少なくないだろう。また、ヨーロッパと日本の自然観の違い、という話もそれなりに賛同される方もおられるかもしれない。しかし、それ以前の基本認識がてんでデタラメなのだからお話にならないし、その根本的な間違いをもとに、自然科学とは異なる「日本の学問」などというものを立ち上げ、それを天照大神に(したがって、その子孫たる天皇に)結びつけようとする神経には、うすら寒さすらおぼえるのである。

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「我々日本人の先祖は猿だつた、といふことで、満足が出来るか出来ないか」

 前に書いた「動物園の猿の子が、人になって生れてきた例がありますか」との関連で。まず最初に、以下に引用する文章は戦前、1932年(昭和7)に発表されていることをお断りしておこう。

 今日のマルクス学説の流行は明かにダーウンの進化論により補助せられ、而〔しか〕して〔…〕科学といふことに一種の魔力を感ぜしめられて居る。多くの学者はダーウンの立てた進化論を無批判的に真理なりと考へて居る。嘗〔かつ〕て亜米利加〔アメリカ〕に於てダーウンの進化論を教へることを禁じた時に、日本の学者は、亜米利加のやうな文明国がそんなことをするのは、甚〔はなは〕だ不似なことだと述べて居つたのを記憶して居る。しかし亜米利加が進化論を禁止したことは、私の立場から言ふと尚〔なお〕当然のことゝ言はなければならぬ。何故ならば、簡単に進化説を信じて居る者から言ふと、我々の先祖は猿、或〔あるい〕は一種の猿のやうなものであつたといふことになる、我々日本人の先祖は猿だつた、といふことで、満足が出来るか出来ないか日本人の精神からは我々の先祖は神であつたといふことは言へるかも知れぬが、猿だつた、或はゴリラに似たやうなものであつたといふやうな馬鹿なことは言ふ者はない。蓋〔けだ〕し進化論とは何を意味するか。其の批判がなくてはならぬ。

 進化論とは蓋し犬だの猫だのといふ抽象的の概念を取扱ふたものである。例へば犬だの、猫だのといふ沢山の生物を概念的に取扱つて、是と是とは能〔よ〕く似て居る。是と是とも能く似て居る。それらを並べて見ると、簡単なものから複雑なものになるといふのである。しかるに行灯〔あんどん〕、洋灯〔ランプのこと〕、電灯、ネオンサインが茲〔ここ〕にあるとして、此の行灯を幾ら叩いて居つても洋灯にはならない。又、洋灯を幾ら叩いて居つても電灯にはならない。電灯を幾ら叩いて居つてもネオンサインにはならぬ。洋灯が出来たから行灯が無くなつたかといふと、依然として行灯はある。電灯が出て来ても、洋灯は依然として洋灯である。ネオンサインが出て来ても電灯は依然として電灯である。而してネオンサインは永久にネオンサインである。即ち、日本人は結局日本人、初めから日本人であつて、終り迄〔まで〕日本人である。他所から来たといふことは、所謂〔いわゆる〕学者の空理空論から言ふのであつて、日本人は何所〔どこ〕迄も日本人である。唯之〔これ〕を室内照明器といふ概念に統一することによつて、初めて洋灯が電気灯になり、電灯がネオンサインになつたといへるのである。進化論を真理として考へる唯物史観論者は、行灯に代へるに洋灯を以てし、洋灯に代へるに電灯を以てする単なる置替へに過ぎない。だから又、左翼派の進化論を考へて居る人は具体的なる概念進化といふことを其の立場とする弁証法に対して、唯物史観的のものを置替へて居るに過ぎない。室内照明器といふ概念の内に於てのみ、初めて行灯が洋灯になり、洋灯が電灯になつて来るといふ止揚の働きが出て来ることに気付かぬからである。抽象的概念の立場からすれば、皆単なる置替へに過ぎなくなる。しかも置替へをして、それが真理なりと考へて居るのであるが、故に置替へるにこれを以てするだけで、その間に少しも進化といふことがない。ダーウンの頭は立派なものであるが、其のダーウンの頭を其の侭〔まま〕持つて来て無批判に進化論はかくの如きものと考へるからいけないのである。そんな進化論は、所謂軍学者が見台〔書見台〕を叩いてやつて居るのと、何等差違のない抽象的知識にすぎぬのである。

――紀平正美『日本精神と弁証法』(思想問題研究会〔編〕『紀平正美 日本精神と弁証法 安岡正篤 日本精神の根本』(青年教育普及会、1932)所収、pp.32-34)。強調は引用者による。〔…〕内はルビおよび引用者註。

 ……ランプや電灯はこどもを産まないだろうに。

 著者の文意が誤解されないよう、あえてやや長めに引用してみた。まず気づくことは――どうやらこの著者は「進化論」というものを根本的に理解していないらしい、ということである。

 著者の紀平正美〔きひら・ただよし〕(1874-1949)はヘーゲル哲学の紹介などで知られる哲学者で、『哲学概論』(岩波書店、1915)・『行の哲学』(岩波書店、1923)・『なるほどの哲学』(畝傍書房、1942)・『皇国史観』(皇国青年教育協会、1943)など多くの著書がある。また、文部省の国策研究機関であった国民精神文化研究所(1932年設置。1943年国民錬成所と合併して教学錬成所となる。1945年廃止。現在の国立教育政策研究所の前身)の所員として、独自の日本主義的哲学の育成と普及に努めたことで知られる。ま、要するに御用哲学者のやからといっていいだろう。

 個人的な感想をひとこと述べさせていただくと、このひとの書いた文章は基本的にやたらと晦渋で、何が言いたいのやらよくわからないまま我慢して読み進めていくと、最後の結論はたいてい「天皇陛下万歳」だったりするので、ものすごく脱力する。まあ、筆者は1930〜40年代の著作しか見ていないので、それ以前の文章はまた違っているかもしれないのだが、そのことはさておく。

 まず、「亜米利加に於てダーウンの進化論を教へることを禁じた」というのは、おそらく悪名高い「スコープス裁判」(モンキー裁判ともいう。→ Wikipedia: 進化論裁判)前後の事情を指して言っているのであろう。1925年3月、テネシー州議会が、同州の公立学校で「聖書に教えられている神による人間の創造を否定するいかなる説を教えることも、そしてそれにかわって、人間は下等な動物に由来するという説を教えることも違法とする」という州法(バトラー法 Butler Act)を定めた(全米レベルで進化論の教授を禁じたわけではない。念のため)。同年5月、同州デイトンの高校教師ジョン・トマス・スコープス(John Thomas Scopes, 1900-70)が、進化論を教えたとして逮捕され、起訴された(デイトンの有力者が町を有名にしようとして意図的に裁判を引き起こした、といわれている)。同年7月に開かれた裁判は、検事側に元民主党大統領候補にして元国務長官ウィリアム・ジェニングス・ブライアン(William Jennigs Bryan, 1860-1925)、弁護側に当代最高の弁護士といわれたクラレンス・ダロウ(Clarence Seward Darrow, 1857-1938)が立ったことで良く知られている。もっとも結局、判決では、進化論の正否やバトラー法の合憲性に関する議論は棚上げされて、法令違反のみが問題とされ、スコープスは罰金100ドルの有罪判決を受けている(ただし、法手続き上の問題からこの判決は事実上無効となった)。なお、バトラー法はその後一度も適用されることはなかったが、それが廃止されたのは実にそれから42年後、1967年のことである。(参考:スティーヴン・ジェイ・グールド『ニワトリの歯』下(ハヤカワ文庫、1997)所収「デイトン探訪」)

 さて紀平は、このバトラー法の立場は「当然のこと」と言い出すのである。なぜなら、「日本人の精神からは我々の先祖は神であつたといふことは言へるかも知れぬが、猿だつた、或はゴリラに似たやうなものであつたといふやうな馬鹿なことは言ふ者はない」、あるいは「〔日本人が〕他所から来たといふことは、所謂学者の空理空論から言ふのであつて、日本人は何所迄も日本人」だからである。進化論否定をしたがるのは、なにもキリスト教原理主義者ばかりではないのだ。

 ちなみに、「沢山の生物を概念的に取扱つて、是と是とは能く似て居る。〔…〕それらを並べて見ると、簡単なものから複雑なものになる」というのは、アリストテレス流の「自然の階梯」(scala naturae)という考え方であって、進化論のはるか以前からあるものである。これを「簡単なものから次第により複雑なものが生じた」と考えない限り、進化論にはならない。そして、進化論に関するダーウィン(とウォーレス)の最大の功績は、「進化」というアイディア自体を思いついたことではなく(アイディア自体についてはエラズマス・ダーウィンやラマルクなど多くの先達がある)、そのメカニズムとして自然選択説(自然淘汰説)という理論を生み出したことにある。ところが紀平は、進化論と「自然の階梯」の区別がついていないらしい。

 紀平の文章のばかばかしさ加減は、以下のように置き換えてみればわかりやすいと思う。

「イノシシ、ブタがここにあるとして、このイノシシをいくら叩いておってもブタにはならない。ブタができたからイノシシが無くなったかというと、依然としてイノシシはある。すなわち、ブタは結局ブタ、初めからブタであって、終りまでブタである。他所から来たということは、いわゆる学者の空理空論から言うのであって、ブタはどこまでもブタである。ただこれを偶蹄目イノシシ科という概念に統一することによって、初めてイノシシがブタになったといえるのである。」

 もちろんイノシシをどうにかしたところでいきなりブタになるわけはないが、にもかかわらずブタはイノシシの子孫なのである。紀平の議論は、要するに世代交代という要素を無視した「空理空論」にすぎない。

 結局のところ、紀平が言いたいのは、「日本人の精神」の立場よりすれば、日本人は神々の子孫なのであって、猿のようなものの子孫などではない、ということになるのだろう。

 この文章は見ての通りマルクス主義を批判するくだりの中にあるのだが、なにしろ紀平は「私には経済的知識は全くない」と断ってから批判を始めているので、後は推して知るべし、というところである。まあ、確かに進化論と唯物史観を安易に結びつけるのはいろいろ問題があるところではあるが、だからって、こんな進化論に対する誤解に基づく批判をやってもしょうがないだろうに。

posted by 長谷川@望夢楼 at 00:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 疑似科学・懐疑論・トンデモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月03日

「動物園の猿の子が、人になって生れてきた例がありますか」

これ〔『古事記』及び『日本書紀』で、世界創造の時に最初に神が出現した、とされていること〕はすこぶる重要な点です。なぜかといえば、我々が動物から進化したとするか、または野蛮な人間から発達したとするか、いや発達ではなくて、堕落してきたものとするか、それとも神から出たものとするか、その出発点の相違は、その民族の宗教に、道徳に、政治に、重大な影響があるからです。簡単に進化論をうけとる人は、人は猿から発達したようにいいやすいのですが、猿はいつまで経っても猿です。動物園の猿の子が、人になって生れてきた例がありますか。猿は猿、人は人、別のものです。それを誤解して、猿こそ我々の先祖であるとすれば、祖先崇拝は出てきますまい。先祖の恩徳を感謝する厳粛な祭は行われますまい。我々日本民族は、その祖先は神であったと信じ、敬い、そして祭ってきたのです。すなわちその生活は、奉仕の態度であって、「つつしみ」「うやまい」を正しいとし、「おごり」「たかぶり」を善くないとしてきたのです。

――平泉澄『物語日本史』(上)(講談社学術文庫、1978), p. 41. 強調は引用者による。〔……〕内は引用者註。

 ……そりゃあ、動物園の猿から人間の子が生まれるわきゃないわな。

 平泉澄(ひらいずみ・きよし、1895-1984)は歴史家で、1935(昭和10)年から1945(昭和20)年にかけて東京帝国大学文学部国史学科教授を務めた人物。一般には「皇国史観の主唱者」として知られる(平泉自身は「皇国史観」という語を用いているわけではないし、また文部省とはそれほど密接な関係にあったわけでもなく、この表現は誤解を招くものであるが)。戦時中は陸軍の一部に強い影響力があったといわれ、1945年8月15日のクーデタ未遂事件(宮城事件)については彼の思想的影響を指摘する説もある。日本の降伏とともに大学を辞し、戦後は特に公職には就かなかったが、神道方面などに強い影響力を保ち続けた。

 主として戦時中の言動のせいで、歴史学者としての彼の評価は非常に低く、博士論文である『中世に於ける社寺と社会との関係』などごく初期の二、三の著作こそ高く評価されているものの、それ以後の著作はほとんど学問的には相手にされていない。もっともその一方、現在もなお一部に熱烈な支持者を持っているのも事実である。東大で彼に直接学んだ歴史家の中でも、彼の評価はそれこそ両極端で、くそみそにこき下ろす向き(中村吉治、北山茂夫、色川大吉、永原慶二など)もあれば、非常に高く持ち上げる向き(平田俊春、村尾次郎、田中卓など)もある。

 この『物語日本史』は、もともと『少年日本史』の題で1970(昭和45)年に時事通信社から刊行されたもので、題名の通り少年向けの日本通史である。現在は皇學館大学出版部から『少年日本史』の題で、また講談社から『物語日本史』の題でそれぞれ発行されており、隠れたロングセラーとなっている。

 それにしても、このくだりを見ると、どうやら平泉は進化論をろくに理解していなかったらしい。人間が直接猿から生まれた、なんてことは、そもそも進化論は主張していない(正しくは「人間と猿は共通の先祖を持つ」)。もっとも、よく読むと「簡単に進化論をうけとる人」とあるので、あるいは平泉としては間違った理解の例として出しているつもりなのかもしれないが。

 平泉の主張は、要するに、日本人は自らを神々の子孫だと考えてきたからこそ祖先崇拝をしてきたのであり、また謙譲の道徳精神も育ってきたのだ、ということであろう(ここから、道徳精神を植えつけるためには進化論よりも「神話」を優先して教えるべきだ、という主張が導き出される)。もっともらしいようにも聞こえるが、冷静に考えると穴だらけの議論である。自分が神々の子孫だと思っているからこそ傲慢になるのではないか、という意見だってあるだろう。始祖が猿だと考えられていれば祖先崇拝は行われないはず、というのもよく考えるとおかしな話である。たぶん彼の頭には、トーテミズムなどといったことは思い浮かばなかったのだろう。

 ついでにいうと、『古事記』でも『日本書紀』でも、人類の誕生についてはっきり述べている記述はどこにも見当たらない。確かに、天皇をはじめ神々の子孫であるとされている人間はいるが、だからといってすべての人間が神々の子孫だとされているわけではないのである。

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2005年05月22日

ザ・スケプティクス・ディクショナリー日本語版

http://www.genpaku.org/skepticj/
The Skeptic's Dictionary 日本語版――二千年紀のための懐疑論ガイド

geocities にあった旧サイトは消滅して久しいですが、プロジェクト杉田玄白のサーバ内にミラーが出来ています。

(2006/ 3/31追記。英語のトラックバック・スパムがしつこいのでタイトルのみカタカナ表記に変更。タイトルに英語を使うとトラックバック・スパムの標的になってしまうみたいですね。)
posted by 長谷川@望夢楼 at 04:43| Comment(0) | TrackBack(1) | 疑似科学・懐疑論・トンデモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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