2017年01月01日

2017年 あけましておめでとうございます。

 本年もよろしくお願い申し上げます。

 私事で恐縮なのですが、じつは年末に激しい下痢と急な発熱に襲われてしまい、12月23日からの数日間は自宅でずっと伏せっておりました。(そういう事情でしたので、年末のいくつかの会合に参加できませんでした。関係者の方々、申し訳ありませんでした。)
 そんなこんなで溜まった仕事も片付かず、懐具合も真剣に寂しく、いろいろ憂鬱な今日この頃です。本年こそはなんとか溜まった仕事を片付けたいのですが。
……年始ですので少しは景気のいい話をしたいのですけどね。




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2016年01月01日

2016年

 喪中につき新年のご挨拶は失礼させていただきます。
 2015年はいろいろ皆様方にお世話になました。2016年もよろしくお願い申しあげます。
 4月以来(だったよね?)ウェブ上からフェードアウトしてしまい、いろいろウェブ上でのおつきあい、お返事等を滞らせてしまって(メールのやりとりはしていたのですが)、申し訳ありませんでした。単純に多忙のため書き込みをせずにいるうちに、なんとなく再開が面倒くさくなってしまったのです。
 新年はぼちぼち再開していきたいと思います。
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2015年01月01日

2015年 あけましておめでとうございます

 本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。

 ……2014年中に書き上げる、書き上げると言っていた原稿ですが、まだ脱稿できません……とほほ。なんとか今年こそは新しい本を出したいと思っています。
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2014年11月20日

「望夢楼」19周年

 最近全く更新できずに、読者の方々には申し訳ない限りです。手元に書き溜めたものはいろいろあるのですが、まだきちんとまとまっていない、調べがまだ足りない、もう少し調べてから公開しよう――ということで、なかなか公開できずにいるのですね。緊要性のないことだと思ってしまうと、なかなかすぐには書けないのです。
 年内にはなんとか次の作品を書き上げたいところです……というか書きます。
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2014年01月01日

2014年 あけましておめでとうございます

 昨年は個人的にはなにかと反省しきりな1年となってしまいましたが、本年こそは心機一転、いろいろ頑張りたいと思います。
 ……とりあえずいいかげん新しい本を書き上げようと思います。

 というわけで、本年もよろしくお願いいたします。
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2013年11月20日

「望夢楼」18周年

18周年を迎えました。
最近はなかなか更新もできない状況なので申し訳ない限りですが、今後ともよろしくお願いする次第です。
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2013年01月01日

2013年、あけましておめでとうございます

 本年もよろしくお願い申し上げます。今年もなんとか成果を出そうとじたばたしつつ、基本的にはマイペースに行こうと思います。
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2012年11月20日

「望夢楼」17周年(でした)

 1995年11月20日開設ですから、17周年になってしまいました。諸事情(主として、ぼく自身の怠慢)でいろいろと滞っており、各方面に迷惑をおかけしていて申し訳なく思ってます。やりたいこととやるべきことはいろいろあるのですけどね。
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2012年01月01日

あけましておめでとうございます

 阜陽師範学院は昨日(12月31日)まで授業でした。昨年来のいろいろな懸案も全く片付かないまま、ついに年を越してしまいましたが、本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。
 昨2011年は、様々な意味で日本と世界の歴史に残ってしまうであろう年になってしまいましたが、今年こそはいい年になりますように。
 安徽省阜陽市より。
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2011年11月20日

「望夢楼」16周年

 というわけで16周年を迎えてしまいました。
 この1年の間、個人的にも、『地図から消えた島々』の上梓と中国・阜陽師範学院への赴任、という大きな変化がありました。
 『地図から消えた島々』は、「望夢楼」の愛読者の方々(これが結構多かったのは嬉しかった)をはじめとして、幸い、かなりのご好評をいただきました。(どうもぼくの書くものは読者を選ぶ癖があるようで、決して万人受けするものではないようですが……。)この機会に、読んでいただいた方々にまとめてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
 なかなか滅多にない機会だったので、限られたスペースに思い切りいろいろなことを詰め込んでしまったのですが、それでも書き足らないことは山のようにあります。そうしたものはいずれ別の機会に書きたいと思っているのですが。
 今はまだ、慣れない日本語教育を手さぐり状態で進めているところですので、なかなか余裕もありませんが、いずれ何か書きたいと思っています。

 ……せっかく安徽省にいるんだから、歴陽伝説(城門にいたずらで血を塗ると洪水が起こって町が沈む、というあの話)の故郷である巣湖市に一度行ってみたいんだけど、同じ安徽省といってもだいぶ遠いからなあ。阜陽は淮河よりも北だし。あと、南京も、近現代史研究者の端くれとしては一度行かなきゃならないよあ。
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2011年09月03日

阜陽無事到着

こちらでもお知らせしておきますが、8月25日に阜陽に無事到着、ようやく本日(9月3日)になってネット回線がつながりました。まずは取り急ぎお知らせのみ。
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2011年03月14日

帰宅困難日記(反省)

 あ、ひとつ重大な反省点。
 もちろん結果論ではあるのですが、この場合、迂闊に動き回らず千葉大でじっとしているのが最も適切な行動でした。もともと避難場所なのだし、ネット環境もあるし、特に停電などがあったわけでもないし。
 なお自宅は本当に大したことありませんでした。万が一、本棚が倒壊していたらどうしようと思っていたのですが、本棚から本が落ちることもなく、収納しきれずに適当に積んである本の山が崩れただけでした。
タグ:日記
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帰宅困難日記(3月12日)

(11日分からの続き)
 携帯はなかなかつながらなかったが、12日早朝になったようやくつながった。

# やっと携帯からつながった。千葉市民会館で仮泊中。いったん千葉駅に向かったのは判断ミスだったといまさら後悔。結果はほとんど同じか。 3:52 AM Mar 12th

# 関東圏でも被害がここまで大きいとは思わなかった。また余震だ。今日はJR動かせるんだろうか。もさて、予定通りであれば本日は同時代史学会定例研究会なわけですが。PCメール読める状況でないのです。 4:03 AM Mar 12th

# え、長野で震度6強? 別の大地震? いったん寝る。 4:08 AM Mar 12th

 3:59に新潟県中越地方を震源として発生したマグニチュード6.6の地震である。東北地方太平洋沖地震は明らかなプレート境界型地震なのに、その余震が新潟での内陸地震というのは、あまりに場所が離れすぎていないか。プレートも違う。余震ではなく、別の地震が偶然発生した、ということなのか? それにしたって、なぜこのタイミングで? まるで小松左京の『日本沈没』じゃないか。
 2時間ほど仮眠をとり、6時過ぎに起きる。朝になると、さらにとんでもない状況が明らかになってきた。
 NHKでは福島県南相馬市(相馬市だったかもしれない)の状況を映し出している。海岸の町が水没している。昨晩からコメンテイターとして延々とコメントを続けていた都司嘉宣氏が、「気になるのは、潮の流れが見えないんですね。もしかしたら陥没しているのかもしれない」などと語り出した。
 真っ先に思い浮かんだのは白鳳地震である。瓜生島では無かった。イメージとしては白鳳地震のほうがぴったりだったのである。
――『日本書紀』巻第29(天武天皇下)・天武天皇13年[684]十月壬辰条。「壬辰、逮于人定、大地震。[…]土左國田菀五十余万頃沒爲海。」(壬辰〔みづのえたつのひ〕に、人定〔ゐのとき〕に逮〔いた〕りて、大きに地震〔なゐふ〕る。[…]土左国〔とさのくに〕の田菀〔たはたけ〕五十余万頃〔いそよろづしろあまり〕、没〔うも〕れて海と為る。)
 ……「桑海の変」という言葉を思い出す。
 もし陥没だとしても、規模はせいぜい数メートル程度だろう(後でわかったが、実際に約 70cm 陥没していた)。それでも、これだけの規模の被害が生じるのだ。陥没だとすれば、海水はずっと引かないことになる。そうでなくても、これだけの冠水はあまりに衝撃的だ。そして、この海水に呑みこまれた人間は、確実に多数にのぼるはずなのだ。
 ……沈没伝説は……やっぱり、歴史のロマンなんかじゃない。そこにあるのは、大災害であり、そして膨大な数の死者なのだ。

# おはようございます、っていうかまだ電車動いてない。NHKで相馬市の状況を写してたが、憶測でものを言うべきではないのだろうが、もしかして、白鳳地震や豊後地震もあんな状況だったんだろうか? 大津波警報がまだ解除できないのも驚き。 6:40 AM Mar 12th

 この時点で、確認された死者数はまだ1000人前後だったと思う。しかし、実際の死者数はそれをはるかに上回ることは、容易に想像がついた。どうやら、海岸部はとんでもないことになっているらしい。
 三陸地震津波といえば、田老の 10m 防潮堤がすぐに連想される。明治・昭和の2度の大津波の教訓から建造され、1960年のチリ地震津波では完璧に威力を発揮したという代物だ。あれはどうしたのだろう。もしかして……あの大防潮堤ですら、防ぎきれなかったのか? (後で知ったが、本当に防ぎきれなかったのだという!)
 総武線は7時過ぎに再開の見込み、ということだが、内房線・外房線その他は不明。7時過ぎ、市民会館を出て駅へ行くが、案の定動く様子がない。5:30現在の千葉駅からの発表によれば、京葉線と武蔵野線は「本日午後以降、運転再開の見込み」だが、佐倉以遠の総武線と内房線・外房線・東金線・久留里線・成田線(佐倉〜成田空港間は除く)・鹿島線は「運転再開のめどは立っておりません」という。つまり、12日中に再開するかどうかすらわからないのである。もしかして、千葉に2晩も泊まることになるのか? 路線バスは動いているが、バス停は長蛇の列になっている上、乗り継ぎをしなければ家までは帰れないし、そもそも乗り継ぎ経路がよくわからない。
 7:45。とりあえず駅近くのネットカフェに入り、メールを確認する。案の定、同時代史学会の定例研究会は中止ということになっていた。とりあえず Twitter で告知を出す。

# 千葉駅近くのネットカフェより。東京方面は動きだしたが、千葉以南は再開の見通しすら立たない模様。さてどうしたものか。 7:54 AM Mar 12th

# 本日の同時代史学会研究会および理事会は中止です! 7:58 AM Mar 12th

 小一時間を要してホームページを修正。

# ホームページ上にも告知を出しましたがあらためて確認します。本日の同時代史学会定例研究会は中止です。それでは、なんとか帰宅を試みてみることにします。 8:40 AM Mar 12th

 8:45、ネットカフェを出て千葉駅に引き返す。

# 千葉駅。まだ内房外房動かない…。 9:02 AM Mar 12th

 千葉駅のテレビモニタでニュースを見る。やっとのことで避難所に逃れて来た被災者の姿を見て、これはまさしく「津波てんでんこ」(山下文男)ではないか、と慄然とする。
 外房線と内房線はなかなか動かない。大津波警報が出されているため安全確認ができない、とのことだが、外房線は茂原あたりまでは内陸を走っている。茂原か、せめて大網あたりまでなら走らせられそうなものだ。たぶん、土気トンネルの辺りか、あるいはあちこちにある軟弱地盤のほうの安全確認に手間取ったのだろう。
 確か11:30頃、ようやく内房線と外房線が動く見込み、という発表があった。13時に内房線の千葉〜君津間、18時に外房線の蘇我〜茂原間が動く見込み、とのことである。まぁ、予定時刻は当てにならないとしても、今日中に動くのは確実だろう。
 昼過ぎ、いったん路線バスに乗って蘇我まで行ってみるが、運転が再開されたはずの京葉線にかなりの混乱が見られる。蘇我に来たのは間違いだったと思い、16時頃、再開された内房線(上りはガラ空きだった)に千葉に引き返す。その間に福島第一原発が爆発していたのを知って唖然とする。
 18:37頃、ようやく外房線が茂原まで動くという発表があり、ただちに乗り込む。18:45、18:48に発車するとの放送が流れた。予定通り出発。地震発生から約28時間後のことだった。意外だったのは、電車内がたいして混雑していなかったことである。もちろん座れるほどではないが、普通の帰宅時とほとんど同じくらいの混み具合だった。要は、28時間も待ちぼうけをやった奴はそれほど多くなかった、ということなのだろう。

# 帰宅ー! まさか電車が28時間も止まるとは思わなかった。部屋の惨状は想定の範囲内というかこの程度で済んで良かった。 9:19 PM Mar 12th
タグ:日記
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帰宅困難日記(3月11日)

 被災地の方々に心よりお見舞いを申し上げるとともに、亡くなられた方々のご冥福を祈る次第です。また、現在救助を待ち望んでいる方々が、一刻も早く救助されるようお祈りいたします。何もできませんが……。
 さて。
 Twitter の方でも報告しましたが、当日、たまたま千葉大にいたため、ものの見事に帰宅困難者というやつになってしまいました。いくらなんでも歩いて帰れる距離じゃないので(明治時代の人なら歩けただろうが)、外房線の運航が再開されるまでの約28時間、ひたすら待ち続ける羽目に。何の参考にもならないと思いますが、回想がてら記しておきます。

 そもそも11日に千葉大にいたのは、30分程度で終わるような、ちょっとした仕事の打ち合わせのため。その後、ネットでのちょっとした調べ物のために大学院棟4Fの某研究室に行き、それもおおむね終わったので、パソコンの画面を眺めつつ、さて図書館にでも行こうか、と思っていたところへ急に揺れが襲って来た。
 初期微動が長かったので遠隔地での地震、本震もかなり強いものの身の危険を感じるほどではない……と思っていたのだが、その本震がなかなか終わらない。不安になってきたので机の下に入る(咄嗟に、ではないところが我ながら暢気で間抜けな所以である。断じて真似しないように)。正確に時間を測ったわけではないのでなんともいえないが、4〜5分は続いていたように思う。平積みになった資料やら本やらがぱたぱたと落ちる。この建物が倒壊したら助からないな、ま、このくらいなら潰れはしないだろうけれど、と漫然と考える。
 揺れが収まったところで、パソコンからネットで情報を確認する。驚いたことにマグニチュード7.9(当初の速報値)、宮城県で最大震度7(栗原市築館)という。阪神・淡路大震災どころではない、関東大震災クラスではないか! この規模なら気象庁命名地震になるのは間違いない。震源は三陸沖だから津波が危ない。宮城には親戚も知人もいるので心配だ。
 ……が、この時点では、まさか関東圏でも相当な被害が及ぶ、とは思っていなかったのである。千葉市内では中央区で震度5強、稲毛区で5弱。かなり激しくはあるが、その程度といえばその程度である。津波は千葉にも押し寄せるだろうが、千葉大も自宅も海岸からは距離があるし、山がちな地形でもないから、危険なところにさえ近づかなければ大丈夫。危ないとすれば液状化現象くらいだろう……その程度に思っていた。

# 於・千葉大なう。あーびっくりした。ずいぶん長いこと揺れたな地震。 2:59 PM Mar 11th

# というかまだ揺れてる……千葉でこれだけとなると宮城が心配だ。 3:00 PM Mar 11th

# 稲毛区で震度5弱。帰るのがちょっと怖いなー。うちの部屋がそれはもう酷いことになってそうで。 3:06 PM Mar 11th

# また揺れてるし。 3:08 PM Mar 11th

 しかしながら激しい余震が続いているので、さすがに建物の中にいるのは危ないと感じ、パソコンの電源を落として屋外に出た。屋外には学生やら教員やらが当惑気味に出ている。ポータブル・ラジオで状況を聞いている人がいて、ああいうものは日ごろから持ち歩いたほうがいいのかも、などと思う。
 どうしようかと迷った。図書館に行くつもりだったのだが、この状況では閉館になっているかもしれない(実際、そうなっていた)。避難場所に行く、というのなら、そもそも千葉大自体が避難場所なのである。とにかく、明日のこともあるし、いったん帰途につくことにした。
 とはいえ、東北地方はおそらく酷い事態になっているのだろうが、千葉ではたいしたことはなさそうだ、とひとごとのように考えながら、西千葉駅に着いてみると、JR線が全面ストップになっている。15:40頃だったと思う。再開までには5時間くらいかかる、というアナウンスが入る(この時点では同日中に再開されるはずだった)。21時くらいになってしまうではないか。ここで、ようやくことの重大さを認識し出す。
 避難場所である千葉大に戻ろうかとも思った。しかし、どのみち帰宅には外房線を利用するので、西千葉駅から乗ったとしても千葉駅で乗り換えなければならない。それに、千葉駅前には大型モニタが設置されているから、西千葉よりも状況の把握は容易だろうし、それに新聞の号外なども出ているかもしれない――と思って、千葉駅まで歩くことにした。もともと両駅間は歩いてもせいぜい20分程度であり、よく歩いてはいるのである。後で、これは判断ミスだったんじゃないかとも思ったが、どのみち、どこかで足止めという羽目になるのは確実だったろう。
 千葉駅に着いてみると、駅前のモニタではまだ広報などをやっていて、報道番組などは映していない。号外も出ている様子が無い。JR、京成、千葉都市モノレールはいずれも全面停止、バス停とタクシー乗り場は長蛇の列。
 市内を40分ほど散策して戻ってみると、さすがにモニタはNHKテレビへと切り替えられていた。歩いている間に「東北地方太平洋沖地震」という命名がされており、さらに、マグニチュードが8.4に修正されている。と、観ているうちに規模が8.8に再修正された。もちろん日本地震観測史上最大の値である。
 さらにテレビ画面は、津波が名取川を遡行し、次々と田畑や家々を呑みこむ、という画面を映し出した。あまりに異様な状況のため、一瞬、何が起こっているか理解できなかった。知識としては知っていたつもりでも、実感としては受け取っていなかった津波の恐ろしさが、まさか目の前に映し出されるとは。さらに、おそらく人が乗っているであろう、ランプの点いた車が津波に巻き込まれて流される――という場面が生中継で流された。さすがに、これはすぐに映像が切り替えられた。
 ――「海の壁」(吉村昭)だ。
 どうやらとんでもない事態が起こっていることが、だんだん把握できてきた。電車はいっこうに動く様子が無い。明日は同時代史学会定例研究会が開催予定だが、この状況で実施できるのだろうか。
 ニュースを見ると、JFEスチール東日本製鉄所(川鉄)とコスモ石油千葉製油所で火災が発生したとのこと(ただし、東日本製鉄所の方は、後で火災ではなかったことが判明する)。どうりでさっきから消防自動車が走りまわっていたわけだ。他にも鹿行大橋が落ちたらしいとか、さまざまな情報が飛び交う。
 コンビニを覗いてみると、すでにおむすびやパンなどはほとんど売り切れている。菓子パンなどは残っているし、インスタント食品や飲料などの在庫は十分に残っているから、とりあえずの食糧危機ということはなさそうだが、流通ストップが長期化すると危ないかもしれない、と感じた。
 とりあえず自宅に連絡しようと思って携帯から電話してみるが、いっこうにつながらない。地震直後にはつながっていたネットともつながらない。しかたがないので公衆電話に向かう。JR千葉駅東口の公衆電話は故障しているようなので、京成千葉駅の公衆電話に行ってみると、とんでもない長蛇の列。1時間ほど待たされた末、ようやく家に連絡がとれたのは19時過ぎだった。並んでいる間に、JR線の終日運行停止が決定。こうなると、千葉でなんとかして一泊しなければならない。
 ホテルは端から諦め、ネットカフェか24時間営業のファミレスで過ごそうかと思い(後から考えれば、千葉大に引き返せば良かったのだが、このときはそうは考えなかった)、あちこち探してみたのだが、どこも入れそうにない。そもそも、ネットカフェやファミレスの中にすら、地震や、それにともなう流通停止の影響で営業を停止するものも出てきているのである。
 一晩過ごす程度なら気にはしないのだが、まだ夜は寒い。屋外で過ごすのはさすがにつらい。千葉駅構内では、帰宅困難者の方々が大量に座り込んでいる。仕方ない、同じように夜を明かそう、この程度で風邪をひくこともないだろう……と決意したところに、22時過ぎ、「千葉市との協力により、400人分の避難場所が確保できました」というアナウンスが入る。どこが避難場所なのかという説明はなかったが、千葉駅からほど近い千葉市の施設ということならば千葉市民会館だろう、と思って案内されるままについていくと、案の定、その通りだった。
 幸い、テレビモニタもあり、NHKニュースを映し出している。本を読んだりうとうとしたりしつつ、時間を過ごす。幸か不幸か、読む本だけは、たまたま沢山持っていたのである。明日は電車は動くのか、と、だんだん心配になってくる。
(長くなったので分割。12日分に続く)
タグ:日記
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2011年01月04日

Internet Explorer 文字化け問題雑感

 年末年始とはいえ、事態発生(12月15日)から半月以上、一向に Internet Explorer の修正が出る様子がないのですが、いったい Microsoft は何を考えているんでしょうか。
 本来、文字コードは HTTP ヘッダで指定すべきもので、 META タグで指定するのはあまり適切ではない……という意見はいちおう理解できなくもないのですが、それならば Shift_JIS や EUC-JP など、他のコードでもエラーにならないとおかしい。そもそも個人サイトで HTTP ヘッダをいじるのは無理。それに、ローカルで保存した(=HTTP ヘッダが存在しない) HTML ファイルを表示するときはどう判断するのでしょうか。なんで ISO-2022-JP だけが駄目、という“仕様”にしたのか、さっぱりわかりません。
 まぁ、普段 Firefox を使ってるので、こちらが見る分には支障はないんですけどね。作っている側としては気になる。
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謹賀新年

 本年もよろしくお願い申し上げます。

「……もう1月4日ですけど」

 ……いや、その。じつは大晦日に弟と日本酒を呑んでいたら、お互いに制御がきかないもんだから、ちょ〜っと調子に乗りすぎて悪酔いしてしまいまして、おかげで今年は初日の出を拝みそこねてしまいました。昨年内に済ませるべきことも済ませきれていないのですね。良くないなぁ。
 そういうわけで、新年早々調子が狂ってしまいました。

 さて、昨年の大きなニュースといえばクニマスの再発見ですけど……。

「あれ? 尖閣事件とか延坪島事件は?」

 だって、尖閣の一件は、事件そのものは大したもんじゃないもの。過去、中国籍漁船集団接近事件(1978年4月)とか、台湾聖火ランナー上陸未遂事件(1990年10月)とか、台湾・香港・マカオの活動家による1996年「保釣」運動とか、中国人の魚釣島(釣魚島)上陸・逮捕事件(2004年3月)とか、台湾籍遊漁船の衝突・沈没事件(2008年6月)とか、深刻な事態は何度も起こってるし(注意――台湾の中華民国政府も「釣魚台列嶼」=尖閣諸島は自国領だと主張しており、その点では中華人民共和国政府よりも強硬な側面がある)。まあ、事態を全力でどんどん悪い方向へとこじらせた日中両国政府の行動は、呆れるのを通りこしてむしろ感心したくなったけど。延坪島事件は民間人の犠牲者を出した点で深刻ではあるけれど、今のところ大きな動きにはなりそうにないからなあ。
 そういうわけで、個人的には「クニマスの再発見」が最大のニュース、と断言しておくのです。

 とにかく、本年こそはきちんと新作を書く所存です(というか、論文を1〜2本ほど、とっとと書かなきゃいけない状況なんですけどね)。
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2010年09月17日

御無沙汰してました。

 前期の授業が大変だったものでなかなか他のことに手が回らず、授業が終わったあとも惰性で放置状態が続いてました。まあ、今後ともマイペースでやっていくつもりです。
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2010年04月02日

近況報告

 千葉大のほうはすでにシラバスが公開になっていますが、本年度より千葉大学文学部東邦大学薬学部で非常勤講師をつとめることになりました。
http://www.l.chiba-u.ac.jp/syllabus/undergraduate/2010/1st/thursday-5/554/
 千葉大では日本近代史、東邦大では日本現代史を担当します。

 そういうわけで、あらためてよろしくお願いします。
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2010年01月02日

あけましておめでとうございます

 あけましておめでとうございます。(……すでに2日の夜ですが。)
 年末年始は、とってあったはずの資料が見つからなくなってしまい、ずっと家探しをしていたらどんどん収拾がつかなくなって、そーゆーところではない、という気分で新年を迎え、初日の出を見に行ってから寝てました。
 昨年度は皆様にいろいろお世話になりました。御礼を申し上げなければならない方が数多くいるのですが、私の怠惰のためすっかり非礼のままとなってしまっており、申し訳なく思っております。
 今年こそは次の研究をなんとか仕上げるつもりです。
 そういうわけで、本年もよろしくお願いいたします。
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2009年10月14日

いまさら言っても詮無いことではあるが……。

 「成田空港は都心から遠くて不便」式の批判を聞くたび、千葉県民としてはなんだか嫌な気分になるのである。
 断っておくが、成田を盛りたてるべきだ、と思っているのではない。そもそも、開港の経緯からして、あの空港の存在自体に決して好感を持つことができないのである。そもそも、成田空港から直接“恩恵”を受けるような地域に住んでいるわけでもないし(まあ、“恩恵”を受ける地域では、騒音もひどかったりするのだが)。
 何が言いたいかというと、そんな議論は43年前にすべきことだったのではないか、ということである。都心から遠すぎる、ということなど、1966年(昭和41)の設置決定の時点でわかっていたことである。空港の規模にしても、確かに反対運動のために縮小を余儀なくされた点も一部にはあるが、もともと、設計段階から、国際空港にしては規模が小さいことが指摘されていたのである。当時からそうした議論をしておけば、そもそも空港が成田に来ることなどなかったし、したがって、戦後最大級の反対闘争が繰り広げられ、数十年の長きにわたって問題がこじれ続けることも、そして、地域社会がずたずたに破壊されることもなかったはずである。
 まあ、若干の弁護をしておけば、1966年当時は、新幹線も高速道路も通すから問題はない、ということになっていたのも事実である。結局のところ新幹線は通らなかったし(やはり、地域住民にとっては騒音がうるさいだけでメリットが皆無、という致命的な弱点があったのが痛い)、高速道路は通ったもののアクセス問題の解決にはならなかったのだが。
タグ:千葉県
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