2005年07月19日

教育勅語「国民道徳協会訳」の怪

 数年前(手元のメモによれば2000年8月25日)、改装前の靖國神社遊就館に行った際、「教育勅語」の「国民道徳協会訳」なるものがパネル展示されていたのを見たことがある(現在の遊就館にはそのような展示はない)。が、それを見てぼくは唖然としたものである。意訳にも限度ってものがあるだろう、原文を捻じ曲げすぎだ、これは明治天皇の《聖旨》に対する《不敬》じゃないのか、と――。

 以下に、その「国民道徳協会訳」の全文を引用しよう。なお、出典については後で説明する。

 私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を完うして、全国民が心を合せて努力した結果、今日に至るまで、美事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
 国民の皆さんは、子は親に孝養をつくし、兄弟、姉妹はたがいに力を合わせて助け合い、夫婦は仲むつまじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じあい、そして自分の言動をつつしみ、すべての人々に愛の手をさしのべ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格をみがき、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、身命を捧げて、国の平和と、安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然のつとめであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、更にいっそう明らかにすることでもあります。
 このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、このおしえは、昔も今も変らぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、まちがいのない道でありますから、私もまた国民の皆さんとともに、父祖の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

 まず、この「私」とはいったい誰なのか、一読してすぐにおわかりになられたであろうか。

 教育勅語はその名の通り、明治天皇の勅語という形をとっている。したがって当然、この「私」は明治天皇である。

 次に、比較のため原文を引用する。

朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

 さて、どこがおかしいかおわかりだろうか。

 教育勅語はもともと極めて難解かつ曖昧であり、多様な解釈を許すように作られている。そのため、全体は理解できなくても「爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ……」という徳目のくだりだけは印象に残っている、ということが多い。

 しかし、それにしたってこれはひどすぎる。

 見ての通り、「訳文」は原文に比べ分量が2倍近くにふくれあがっている上、原文と一対一対応していない。逐字訳ではなく、かなりの意訳である。

 それだけでも「口語訳」としては十分に問題なのだが、良く見ると「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」にあたる部分がどこにも見当たらない。しいていえば、「国の平和と、安全に奉仕しなければなりません」がそれにあたる部分だが、「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」(「天壌無窮」=天地とともにきわまりないこと、すなわち永遠。つまり、「永遠に続いていく天皇の運をたすけなさい」という程度の意)とは全く意味が違う。教育勅語は、天皇をたすけよ、と言ってはいるが、国をたすけよ、と言っているわけではないのだ。だいたい、「平和」や「安全」など、いったいどこから出てきたのだ?

 「父母ニ孝ニ……」から「……皇運ヲ扶翼スヘシ」までの徳目の部分については、それぞれの徳目は独立して列挙されている、とする解釈と、すべての徳目は最後の「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」に収斂する――つまり、「父母ニ孝ニ」するのも「夫婦相和」するのも「学ヲ修メ業ヲ習」うのも、すべては天皇陛下のためである――とする解釈とがある。初期は前者の解釈が優勢であったが、国定第2期修身教科書『高等小学修身書』巻2(1913=大正2)以後、後者の解釈が広まることになったという(籠谷次郎「教育勅語」、原武史+吉田裕〔編〕『岩波天皇・皇室辞典』岩波書店、2005)。戦前の文部省の公式解釈は後者ということになるが、この解釈をとるとすれば、文意のねじまげにも程がある、ということになる。また、前者の解釈をとるにしても、重要な部分を無視してしまっていることには変わりない。

 その一方、原文のどこにも無い「日本」という語が4回も出てくる。「立派な日本人となるように」など、どうやら「咸其徳ヲ一ニセンコトヲ」(みなその徳を同じくするように、というほどの意)を「訳」したらしいのだが、なぜそうなるのかわからない。「道義国家」「道義立国」なども原文にないキーワードである。

 また、「臣民」(天皇の臣下たる民)をすべて「国民」に置き換えているのは、若干意味が異なるとはいえ、まだ理解できなくもない。しかし、「朕カ忠良ノ臣民」(私の忠良な臣民)を「善良な国民」と「訳」するのは明らかにおかしい。教育勅語においては、国民は単に「善良」であるべきだけではなく、天皇に対して「忠義」であるべきとされているのであるが、そのことがこの「訳」からは抜け落ちてしまっているのである。

 さらにあきれたことに、なんと「皇祖皇宗」(私=明治天皇の祖先)と「爾祖先」(あなた=臣民の祖先)に同じ「私達の祖先」という「訳」を当てている! これは明白な意図的誤訳である。教育勅語では、「朕」(私=明治天皇)と「臣民」は明確に峻別されており、混同されてはいないし、またそうされてもならない。「我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所」を「祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところ」と「訳」しているのも、やはり天皇と臣民を勝手に混同している。

 教育勅語は、大日本帝国の絶対的統治者たる明治天皇が、臣民に対して、臣民が守るべき道徳律を示したもの、という形式をとっている。つまり、中心となるのはあくまで天皇だし、またそうでなければならない。ところが「国民道徳協会訳」では、その天皇がどこかに行ってしまっている。意図的に「天皇」が「国」に置きかえられているのである。勅語の主語は天皇でなければならないはずなのだが、「国民道徳協会訳」では(日本国民であれば)誰であってもよいようになってしまっている。

 いったい、この「国民道徳協会訳」とは何なのか。 Google で「国民道徳協会」を検索してみても、この「訳」文を転載したページが山ほど引っかかってくるだけで、よくわからない。

 国立国会図書館蔵書検索システムで「国民道徳協会」を検索すると、以下の四冊がヒットする。

  1. 国会デモ規制論 / 佐々木盛雄. -- 国民道徳協会, 1968
  2. 甦える教育勅語 / 佐々木盛雄. -- 国民道徳協会, 1972
  3. 狂乱日本の終焉 / 佐々木盛雄. -- 国民道徳協会, 1974
  4. 『教育勅語』の解説 / 佐々木盛雄. -- 国民道徳協会, 1979.4

 佐々木盛雄(1908-2001)は元衆議院議員(在任1947-52, 53-55, 58-60。所属は自由党、のち自民党)で、第5次吉田茂内閣(1953年5月〜54年12月)の労働政務次官、第1次池田隼人内閣(1960年7月〜12月)の内閣官房副長官などを務めた人物である。著作としては、他に『断絶の日本』(日本教文社、1969)、『教育勅語』(みづほ書房、1986)、『修身の話』(同、1998)などがある。この人物が理事長を務めていたのが、国民道徳協会なのである(『現代人名情報事典』平凡社、1987、『衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990、他による)。この協会が現存しているのかどうかは、寡聞にして知らない。

 このうち『『教育勅語』の解説』には、問題の「国民道徳協会訳」と同じものが「著者の謹訳」として掲載されている(実は、上の「訳」文は同書 pp. 56-57 から引用したもの)。つまり、「国民道徳協会訳」とは、正確には佐々木盛雄「訳」というべきものなのである。

 この「訳」は、神社関係にはかなり流布しているようで、例えば以下のサイトに転載されている。

 ……仮にも明治天皇を祀った神社が、こんな《不敬》な、原意ねじまげまくりの「訳」を掲げてていいのかねえ。

 それにしても、このような「訳」を作ったり、またそれを流布させたりしている人々は、いったい何がやりたいのだろう。彼らは果たして教育勅語の「復活」を望んでいるんだろうか。確かに、このような「訳」文を見て、「教育勅語にもいいところはあった」と思う人間は増えるかもしれない。しかし、そこで肯定されるのは教育勅語そのものではなく、勅語とは似て非なるものではないか。

 ちなみに、例の『新しい歴史教科書』に掲げられた「教育勅語」の訳文でも、やはり「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」は無視されている。

 国民は,父母に孝行し,兄弟は親しみ合い,夫婦は仲むつまじく,友人は信じ合い,つつしみ深く,高ぶらず,民衆に広く愛をおよぼし,学問を修め,技術を学び,かくして知能を向上させ,人格を完成し,進んで国家・社会の利益を拡大し,(中略)国家や社会に危急のことがおこったときは,進んで公共のためにつくさなければなれない。〔『新しい歴史教科書』改訂版, p. 161〕

 「国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ」を省略しているのも不思議ですな。

posted by 長谷川@望夢楼 at 17:17| Comment(9) | TrackBack(7) | 教育勅語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私のブログで教育勅語の現代語訳とこの訳文の対比を行ってみましたので、よろしければご覧ください。こちらのエントリーを拝見したのは、一応自分なりの「添削」が終わったあとでしたが、大変参考になりました。「私達」という存在しない概念を勝手に持ち出すとは本当に不敬もいいところですね。
Posted by ゲーナ at 2005年10月29日 12:30
今頃のコメントですみません。
もっともだと思って参考にさせてもらいました。
Posted by 林じゅん at 2006年02月07日 13:28
>今頃のコメント
お気になさらずとも構いませんよ。
Posted by 長谷川@望夢楼 at 2006年02月10日 08:56
あの当時の日本が置かれた立場を考慮するならば、原文を原文のまま意訳したって普通の研究
者なら誰も批判はしないと思うんですが・・・。

そのままならば国家を纏める為に天皇の威光を利用した、当時の政府の思惑とか戦略とかを学ぶいい資料なんですけどね。
Posted by なおん at 2009年10月07日 15:48
なおんさん:
 すみません、おっしゃりたいことが今ひとつよくわかりません。
Posted by 長谷川@望夢楼 at 2009年10月14日 07:12
周回遅れのコメントですみません。

教育勅語を読みやすい形で印刷できるPDFなどがないものか、探していて辿り着きました。

ご指摘の点は、ごもっともだと思います。
ただ、明治維新以後、過度に利用されたきらいはありますが、古よりの天皇・皇室のあり方、我が国の「君民一体」の国体が意訳の前提にあるように思えます。

この国民道徳協会が何者か、その善悪も良くわかりませんが、「皇祖皇宗」が「臣民」の祖先でもある、という感覚は、我が国の歴史・思想に詳しい人ならば、自然に諒解できるような気がします。

その辺の感覚は、林房雄著「天皇の起源」および勝海舟著「氷川清話」などを読むと参考になるかもしれません。

乱文、失礼しました。
Posted by 海獺 at 2010年04月26日 18:56
海獺さん:
 それではなぜ勅語本文では「子孫ノ倶ニ」ではなく「子孫臣民ノ倶ニ」という表記になっているのでしょうか? 英訳版では“to be observed alike by Their Descendants and the subjects”です。第2期国定修身教科書『尋常小学修身書 児童用 巻六』(1912〜22年度)では「皇祖皇宗の御子孫も一般臣民も倶に」、第3期(1923〜38年度)では「皇祖皇宗の御子孫も一般の臣民も共に」と説明されています。「教育に関する勅語の全文通釈」では、「皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々に」と解釈されています。
 「子孫臣民」を「子孫である臣民」と解釈することが不可能だとはいいませんが、「子孫および臣民」と解釈する――すなわち、「臣民」には「皇祖皇宗の子孫」でないものも含まれていることになる――のが自然でしょう。

 確かに、「皇祖高宗」が「臣民」の祖でもある――すなわち、「日本人」は天皇を中心とする血縁共同体である、という理解(君民同祖論)は、1890年代に穂積八束らが提唱し、幅広く受け入れられたものでした。
 しかし、この理解には重大な難点がひとつあります。これでは先祖を共有していない集団、つまり渡来系氏族の子孫や「蝦夷」の子孫、外地の住民などが、「日本人」の範囲から外れることになってしまうのです(いや、それどころか、「皇祖」=アマテラスですから、スサノオ――オオクニヌシ系統(出雲系)の神々の子孫ですら、この範囲から外れてしまいかねません。……言い換えれば、『古事記』も『日本書紀』も君民同祖論の立場には立っていないのです)。これでは帝国の版図を拡大することができなくなってしまいます。植民統治の観点から第二教育勅語を発布すべきである、という議論すらあったほどです(このあたりについては、たとえば駒込武『植民地帝国日本の文化統合』岩波書店、1996年、 pp. 57-63 を参照のこと)。
Posted by 長谷川@望夢楼 at 2010年05月01日 02:12
周辺情報もあって、参考になりました。日本人がどうなっていまのようになったのか、興味をもっています。
どういう人たちに向けて、教育勅語を作らねばならなかったのか、という観点からは、逝きし世の面影、という本が、おすすめです。
森有礼の方向の方が、当時の人には、とっぴなものではなかったと、感じます。
教育勅語の内容のほうが、当時の人には、異常な世界だったのではないかと。
Posted by 遠藤宏一 at 2013年12月05日 17:36
「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
に着目なさるご慧眼には敬服いたします。


>それにしても、このような「訳」を作ったり、またそれを流布させたりしている人々は、いったい何がやりたいのだろう。彼らは果たして教育勅語の「復活」を望んでいるんだろうか。


祭祀的な道具としての復活を望んでいる人々です。だから明治教育勅語の核心であるこの部分を画しているわけです。

仏教の戒律が三宝を現前させる為の身口意の規則であることを知る迄は私は全く気がつきませんでした。残念なことに真言宗・天台宗の僧侶でも知らない人が大半ではないでしょうか/つまり密教を体感できていない。極論すれば、仏教を知らないということです。

つまり解脱に導く如意宝珠が三宝であるのと同様に天壌無窮ノ皇運が教育勅語の徳目を守ることによって現出さえるというわけです。万世一系とか天壌無窮とかは歴史書から読み取ったり府会した本尊論であって史実ではない。

 立派な道徳として受入れられてきたものが日本国体という場では天皇という本尊を現出させる為であったという観念を耐え前として受入れられさせられる。北朝鮮で中高生に核ミサイル(男根の象徴)を讃え、原子物理学の勉強を推奨していることを笑えません。

安倍晋三の周りにいる稲田朋美などが口にする「道義」などは水戸学の言葉です。彼らは生身の天皇の思惑など眼中にはない。憲法などの政治的な隙を口実にして己のカルトに他人を巻き込もうとしている連中だと理解できます。明治神宮はそれの巣窟となっているわけです。
国民を騙して憲法改正・明治教育勅語復活を目指す人々だから新しい嘘の歴史教科書を作る会の人々と一蓮托生です。

明治天皇個人を理解しようと思う気持ちはさらさらないわけですが、明治天皇は恐怖から自分の意志を封印して利用されることに徹した人だった(つまり猿回しの猿『明治大帝』)から、原文を捩じ曲げた厄を作られようとまあどうでもよいと思います。
 




Posted by Shapuhr at 2016年04月24日 16:28
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