I 歴史のなかの教育勅語
高橋陽一「教育勅語の構造」
齋藤公太「「国家神道」と教育勅語――その狭間にあるもの」
II 教育勅語から考える
辻田真佐憲「教育勅語肯定論の戦後史――敗戦直後の擁護論から森友学園事件まで」
長谷川亮一「「口“誤”訳」される教育勅語――戦後の教育勅語受容史」
原武史「「おことば」と教育勅語」
井戸まさえ「「教育勅語」と『育児の百科』――明治的支配へのアンチテーゼとして」
斎藤貴男「政治と財界が目指す「明治的」なるものの形」
III 鼎談
寺脇研+青木理+木村草太「教育勅語が照射する現代の社会と教育」
……そういえば、20日に「望夢楼」17周年だったんでしたっけ。忘れてました。
さて、知人の大学教育学部の先生方と共に、
教育学部生向けの教育法令集を編纂しています。
今回、教育勅語が有名になったので、色々調べました。
美濃部達吉先生は、教育勅語に御名御璽はあ
ものの、大臣の副書がないことを批判されました。
美濃部先生の意見では、明治憲法施行後は、天皇
の言説(勅語類)についても、輔弼者がいる場合
は、神聖不可侵ではなくなり、補弼者(副署した
大臣、議会等々)が責任を負うので、批判も許さ
れることとなった。
ところが、教育勅語という教育行政に関わること
について、文部大臣の副署がないとは、文部大臣
の責任が果たされておらず、また、このような
行政に関わるものが、神聖不可侵状態となるのは
不適当と批判していました。
教育勅語は、明治の憲法行政法学の主流からも
変だと批判されていたのですね。
拙著『教育勅語の戦後』でも書きましたが、教育勅語は形式を見る限り、法的には特に意味を持たない、明治天皇の個人的意見でしかないはずなんですよね(そもそも「勅語」は本来、天皇の口頭発言のことで、詔書よりも一段低い)。ですから法的位置づけも不明確ですし、そもそも「廃止」もできないんです。それが重視されたのはなぜか、といえば、小学校教育で教えること、奉読式を行うことが義務化されたから。