2016年11月30日

「でもしか先生」は「デモしかしない」先生の略ではない

 「でもしか先生」(または「でもしか教師」)という言葉がある。本来志望した職につけなかったので教師に「でも」なるか、という志の低い教師や、無能なので教師に「しか」なれない教師、を揶揄した表現である。少子化などの影響で、教員採用自体が難関になってしまった21世紀現在からすると隔世の感があるが、この語が流行した1950年代後半は、ちょうどベビーブーム世代が一斉に小学校に入学してきたころで、生徒数の増加に教員や教室の増加が追いつかなかったころ。教師になるのは今よりもずっと容易だったわけである。

 この「でもしか先生」は、教育社会学者の永井道雄(1923-2000)の造語である。永井は京都大学助教授、東京工業大学教授(1963-70)、朝日新聞論説委員(1970-74)などを歴任、三木武夫内閣で文部大臣(1974-76)をつとめた。ちなみに、文部大臣に民間人が起用されるのは、第3次吉田茂内閣の天野貞祐(1950-52)以来22年ぶりのことであった。以後も細川・羽田内閣の赤松良子(1993-94)、文部科学大臣になってからも第1次小泉内閣の遠山敦子(2001-03)しか例がなく、また赤松・遠山はいずれも官僚出身なので、永井はいまのところ最後の純然たる学者文相となっている。

 ところで以前、ネット上で「でもしか先生」は本来「デモしか先生」、つまり組合活動としてのデモばかり行っていて、本業であるはずの教員活動をおろそかにしている先生、という意味だった、という説明を見かけたことがある。直感的にこれは変だ、と思った。これが逆なら理解できるのだが、「デモしかしない先生」を「デモしか先生」と略するのは、言葉の作り方として不自然である。

 ところが、いくつかの俗語辞典を引いてみると、確かに同じような説明が出てくる。たとえば、米川明彦『日本俗語大辞典』には次のようにある。

でもしかせんせい(でもしか先生)[名]先生でもなるか、先生にしかなれないというような先生を嘲って言うことば。もとは「デモしか」しない先生という。◎『読売新聞』(1974年12月10日夕刊)「先生にでもなるか、先生にしかなれない教師を『デモシカ先生』と名づけた」◎『毎日新聞』(1976年12月19日朝刊)「《デモシカ先生》あれは実は学校の用務員さんがデモをしている先生を見て『先生はデモしかしないんですかねえ』と言われたのをボクなりの『デモシカ先生』にしたんです」(見坊豪紀『ことばのくずかご』から)[米川明彦『日本俗語大辞典』東京堂出版、2003年、408頁。強調は原文ゴシック体]

 出典が見坊豪紀(けんぼう・ひでとし)『ことばのくずかご』となっているので、これにさかのぼってみる。この本は『言語生活』誌に連載されたコラムをまとめたもので、『三省堂国語辞典』の編者として知られる日本語学者の見坊が、辞書のための用例を採取する際に発見した、変わった用例などを紹介した本である。念のため、こちらも引用しておく。

永井文相の造語ではなかった〔77・2 66〕
〈デモシカ先生〉あれは実は学校の用務員さんがデモをしている先生を見て『先生はデモしかしないんですかねえ』と言われたのをボクなりの『デモシカ先生』にしたんです。(51年5月、本社記者との雑談で)(〔「毎日新聞」1976年12月19日朝19「ユニーク“永井語録”〕[見坊豪紀『ことばのくずかご』、筑摩書房、1979年、35頁。強調は原文ゴシック体]

 さらに出典の『毎日新聞』1976年12月19日付朝刊19面にさかのぼってみる。じつは、見坊の引用はやや不正確である。

 《デモシカ先生》あれはボクが作ったように言われているが、実は学校の用務員さんが言った言葉なんですよ。デモをしている先生を見て「先生はデモしかしないんですかねえ」と言われたのをボクが「教師にデモなるか」「教師シカなれない」現状を思ってボクなりの「デモシカ先生」にしたんです。([昭和]51年[1976年]5月、本社記者との雑談で)[「「デモシカ」から「カニの横バイ人生」まで ユニーク“永井語録”」『毎日新聞』1976年12月19日付朝刊19面]

 よく読んでみると、用務員の発言は「先生はデモしかしないんですかねえ」であって、用務員が、そういった教師を指して「デモしか先生」といった、とは書かれていない。また、仮に、この用務員氏が「デモしか先生」という言葉を使ったのだとしても、それは、この時点では一個人の思いつきの発言にすぎず、そのような表現が広く使われていたわけではない。「デモシカ先生」を「教師にデモなるか」「教師シカなれない」先生、という意味で造語して広めたのは、あくまで永井道雄なのである。辞書にわざわざ「もとは「デモしか」しない先生という」などと註記する必要性はないどころか、そのような意味で使われたことがあった、という誤解を招くことになる。

 さて、永井道雄本人が言っているのだからその通りなのだろう――と思ってはいけない。というのは、「でもしか先生」の初出とされる永井「この教師の現状をどうするか」(『中央公論』1957年5月号)では、全く違うことが書かれているからだ。

 ある教育者の会合にでたら、保守的な、しかし、仕事熱心なために人々から尊敬されている老先生が、教師のなかには「でも先生」が多い、これが一番困つたことだと熱をこめて論じている。日教組のデモ行進には批判が多い、またはじまつたかと思つて聞き流した。ところが、どうも話が違うらしい。「でも先生」つてなんのことかね。――隣に坐つている友人の腰をつついてきいてみた。

 聞いてみると、「でも先生」と「デモ先生」は全く別物なことがわかつた。教師のなかには、若いころ、できれば、技師に、医者に、役人に、小説家に、あるいは政治家になりたかつたものが多い。ところが、いろいろの都合でなれなかつた。仕方がないから、教師にでもなろうか、幸い、口があつたから雇つてもらつたという人が案外多い。「でも先生」とは、第二志望、第三志望でなつた教師のことである。あきらめて選んだ職なのだから、当然熱がこもらない。そこで、これが、教育上、一番困つた問題だというのである。[永井道雄「この教師の現状をどうするか」『中央公論』第72年第6号、中央公論社、1957年5月、32頁。強調は原文傍点。この論文は永井〔編〕『教師 この現実』〔三一新書〕(三一書房、1957年6月)に再録されているが、ここでは初出による。]

 なお、永井は当時、京都大学教育学部助教授。

 まず、ここでは「でもしか先生」ではなく「でも先生」となっている。しかも、「でも先生」というのは、「用務員」ではなくある「老先生」の造語であり、それを「デモしかしない先生」だと解釈、というより勘違いしたのは永井自身だということになっているのである。ことのついでに言っておくと、永井はこの論文の末尾で、「日教組の教研活動」について「とかくの論議はあるにしても、今のところ日本には、教研活動ほど大規模で、しかも徹底した現職教育はない」(42頁)と高く評価している。

 「しか」の方はどこに行ったのか、というと、これは同じ論文の後のほうで登場する。

 ところが、同僚の一人にいわせると、たとい失敗はしても、一度は教育以外の理科、経済などをねらう元気と力があつただけでも、私たちの学部の浪人学生は、まだましなのだ。全国にあまねく存在する学芸大学には、中学、高校時代の自分の学力を考えてみると、他の学部はとても見込みがない、教育関係しか、やれない者が多いというのである。こういわれて、全国の国立大学の学生を対象にして行われた、文部省の進学適性検査の報告を見ると、なるほど教育関係の学生の成績は驚くほど低い。[…]

 知的な学力だけが人生のキメ手ではないという私も、ここまで開きがあれば問題にしないわけにはいかない。これでは教師にしかなれない「しか先生」の卵だというはかない。[同、34-35頁]

 「学芸大学」は、戦前の師範学校が、戦後に教員養成専門の単科大学に改組される際に名乗った呼称である。その後、1966年の法改正で呼称が「教育大学」に改められている(東京学芸大学(東京府師範学校の後身)のみは例外で、これは当時、別に「東京教育大学」(東京高等師範学校・東京文理科大学の後身で筑波大学の前身)があったため)。

 見ての通り、この論文では「でも先生」と「しか先生」は登場するが、じつは、両者を合わせた「でもしか先生」という表記はどこにも出てこない。この論文が大きな反響を呼んだことで、いつの間にか「でも先生」と「しか先生」を合わせた「でもしか先生」という言葉が出来上がったのである。

 また、「しか先生」の引用からもわかるように、この論文は、現職教師よりも、むしろ、その卵である教員養成課程在籍の学生の方を対象としている。つまり、ここでの「でも」「しか」は、「成績が良くないので他学部に入れず、仕方がないので教育(学芸)学部に入った」という意味で使われているのである。ところが、この語が広まるにつれ、永井の本来の意図とは離れ、むしろ現職教師をターゲットとした語句として使われるようになっていく(油井原均「「でもしか教師」言説の分析――教師像をめぐる議論に関する事例研究」『日本教師教育学会年報』第10号、日本教師教育学会、2001年10月)。

 話を戻そう。永井の1957年の論文と1976年の発言には、明らかに矛盾がある。どちらを信用すべきか、というと1957年の論文の方だ。1976年の発言では「デモしかしない先生」から「でもしか先生」を作ったことになっているが、1957年の論文では「でも先生」と「しか先生」はセットではなく、バラバラにしか出てこないのである。「デモしかしない先生」から「でも先生」を作った、という可能性なら考えられるが、だとすると、なぜ永井は用務員の言葉を「老先生」の言葉にすりかえたのか、説明がつかない。1976年の発言は、好意的に見ても永井の記憶違いか、あるいは新聞記者の勘違い、と考えるべきだろう。

 結論をいえば、「でもしか先生」は、最初から、「教師にでもなろうか」「教師にしかなれない」先生、という意味で作られた造語である。それ以前に「「デモしか」しない先生」という意味で使われていたわけではない。少なくとも、そのような根拠はない。

posted by 長谷川@望夢楼 at 02:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 言葉の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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