2016年11月24日

『当世書生気質』と野口英世改名の謎(1)野口清作と野々口精作

 野口英世(1876-1928)は出生時の戸籍名を「清作」といい、1898年(明治31)、数え年23歳のときに「英世」と改名した(正式に戸籍名を改めたのは翌1899年10月)。「英世」という名を考案し、戸籍名変更のために尽力したのは、清作の猪苗代高等小学校(現・猪苗代町立猪苗代小学校)時代の恩師、小林栄(1860-1940)である。

 ついでながら、もちろん本人は「ひでよ」のつもりでいたし、英語論文でも Hideyo Noguchi と署名していたのだが、生前、この名前は、日本ではもっぱら音読みで「えいせい」と読まれていた。

 この改名が、坪内逍遥(つぼうち・しょうよう)(1859-1935)の小説『当世書生気質』(とうせいしょせいかたぎ)(1885-86)の影響だ、という話はつとに知られている。この小説に、「野口清作」と酷似した「野々口精作」(「清」ではなく「精」であることに注意)という名前の不良医学生が登場するのを苦にして改名した、というのである。

 たとえば、財団法人野口英世記念会発行の『少年伝記 野口英世』(1978年)には次のようにある。

ある人が、

「清作くん、この本は坪内逍遙という人のかいた『当世書生気質』という小説だよ。よんでみたまえ、おもしろいよ」

と、本をかしてくれました。

 清作はよんでいくうちに、なるほどおもしろくて、ぐんぐんとひきいれられていきました。小説の中に、自分とよくにた名の医学書生がでてくるからです。「野々口精作」といって、自分の名まえ、「野口清作」によくにています。

[…]

 よみすすんでいくうちに、清作は、だんだんいやな気持ちになってきました。小説にでてくる主人公の「野々口精作」は、みんなから、しょうらいをたのしみにされていたのに、あるつまらない事件から、だんだんわるくなって、とうとうさいごには、だれからもあいてにされなくなってしまうという、すじだったのです。

 清作は、名まえがにているばかりでなく、医学書生であることなども、なんだか、自分のことがかかれた小説のようにおもえました。

「先生、この『当世書生気質』をよんで、すっかりかんがえてしまいました。どうも、ぼくによくにているところあるし、それに、清作という名もよくないなあ。ぼく、なんだか、この小説の清作になりそうな気がします。」

「あはは、なにをくだらないことをいうのだ。しっかりしたまえ。しかし、それほど気にかかるなら、名まえをかえてみたまえ。改名をするんだよ。」

 小林先生が、わらいながらいいました。[滑川道夫『少年伝記 野口英世』野口英世記念会、1978年、79-80頁]

 野口英世の伝記類には、これと同じような記述がしばしば見られる。ところが、じつは、ここに紹介された『当世書生気質』の内容は全くのデタラメなのである。確かに、野々口精作という名前の男が登場することは事実である。しかし、まず、この男は主人公ではなく本筋と無関係な場面にチョイ役で登場する人物にすぎない。しかも、この男は最初から最後まで、猫かぶりの堕落したお調子者として描かれている。地元ではきちんとした学生を装っているらしいので、「みんなから、将来を楽しみにされていた」というのは当てはまるといえなくもない。しかし、作中で「あるつまらない事件」が起こることはなく、したがって「だんだん悪くなって、とうとう最後には、誰からも相手にされなくなってしまう」ということもない。

 医師・医学史家の秋元寿恵夫(1908-94)は、1971年(昭和46)に出版した少年少女向け伝記『人間・野口英世』の中で、「『当世書生気質』のどこをさがしても、野口の伝記作者がひきあいにだしているような話は、いっさい見あたらないのです」「べつに野々口は、この小説の主人公でもなんでもないのです」と指摘している。野口英世の伝記類でこの誤りを指摘したのは、この秋元の本が最初と言われている。どうやら、それまでの伝記作家たちは、そもそも『当世書生気質』の内容を確かめてすらいなかったようなのである。

 いい加減な話なのだが、いったいなぜこんなことになったのだろうか?

第2回につづく

posted by 長谷川@望夢楼 at 00:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/444267540

この記事へのトラックバック