現行の学校教育法(2011年6月3日最終改正)においては、「体罰」は違法とされている。
第十一条 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。 [法令データ提供システム]
学校教育法自体は1947年(昭和22)に制定された法律だが、この条文はこのとき新しく作られたものではなく、明治期からずっと存在していた法的規定を引き継いだものである。
学校における体罰の禁止について規定した最初の法令は、1879年(明治12)の「教育令」である。
教育令(明治12年太政官布告第40号、1879年9月29日公布)[法令全書][Wikisource]
第四十六条 凡学校二於テハ生徒二体罰 殴チ或ハ縛スルノ類 ヲ加フヘカラス
註記で、体罰の具体例として「殴る」「縛る」といったことをわざわざ挙げているのが特徴である。
この条項は1880年(明治13)の第2次「教育令」(明治13年太政官布告第59号、1880年12月28日公布)[法令全書][Wikisource]でも受け継がれたが、1885年(明治18)の第3次「教育令」(明治18年太政官布告第23号、1885年8月12日公布)[官報][Wikisource]では削除されてしまい、1896年(明治19)の「小学校令」(明治19年勅令第14号、1886年4月10日公布)[官報][Wikisource]でも規定は置かれなかった。しかし、1890年(明治23)の第2次「小学校令」で、体罰禁止規定は5年ぶりに復活する。
小学校令(明治23年勅令第215号、1890年10月7日公布)[官報][Wikisource]
第六十三条 小学校長及教員ハ児童ニ体罰ヲ加フルコトヲ得ス
1900年(明治33)の第3次「小学校令」で「懲戒」に関する規定が付け加えられ、「体罰」は「懲戒」の但し書き規定となった。これが基本的には現行の「学校教育法」まで引き継がれることになる。
小学校令(明治33年勅令第344号、1900年8月20日公布・9月1日施行)[官報][Wikisource]
第四十七条 小学校長及教員ハ教育上ト認メタルトキハ児童ニ懲戒ヲ加フルコトヲ得但シ体罰ヲ加フルコトヲ得ス
国民学校令(昭和16年勅令第148号、1941年3月1日公布・4月1日施行)[官報]
第二十条 国民学校職員ハ教育上必要アリト認ムルトキハ児童ニ懲戒ヲ加フルコトヲ得但シ体罰ヲ加フルコトヲ得ズ
学校教育法(昭和22年法律第25号、1947年3月31日公布・4月1日施行)[官報]
第十一条 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。但し、体罰を加えることはできない。
要するに、日本の学校教育では、「体罰」は1879年以来ずっと(1885〜90年の短期間を除き)法的には禁止されてきたのである。
ところで、この「体罰」とは、具体的にはどの程度のことを指していたのだろうか。
1891年(明治24)8月、某県から文部省に、「校舎の内外を掃除」「教場の一隅に直立せしむる」は体罰に該当し、「教授時間後留置」は体罰にあたらない、とする解釈は妥当か、という照会がなされ、これに対しては文部省普通学務局長が、これらはすべて体罰にあたらない、とする解釈を示している(渋谷徳三郎『教育行政上の実際問題』敬文館、1922年, p. 103)。また同書は、懲戒については慣例的に「譴責、直立、留置等」(つまり、叱る、教室内に立たせる、放課後に残す)が認められており、「掃除其の他雑役」(要するにバツ当番)は懲戒として不適当だ、と指摘している。いずれにせよ、戦前の解釈においても、直接身体に危害を与える行為(ビンタなど)が体罰とされていたことは間違いない。