(19日追記:再確認したところ、間違いがあったので一部修正。安田先生が最初に食道癌と診断されて入院されたのは2007年1〜2月であり、摘出手術ができないので放射線治療を受けた、というのもこのときの話である。ただ、このときは安田先生の側からも、入院のため休講する旨の説明が通知があった。院生の間で混乱があったのは、2009年10月の、2度目の入院のときの話である。)
11月にいったん復帰されたものの、2010年の春休みに再入院。その後に再復帰されたものの、2010年6月末を最後に授業を停止して再々入院となっていた。その後、今年(2011年)はじめにはまた再々復帰されたという話も噂に聞いていたのだが、タイミングが合わずにお目にかかる機会を逸していた。そういうわけで、この1年くらいの間は、直接お会いする機会がなく(実際、2010年6月を最後に、お会いしたという記憶がない)、それだけでも大きな心残りになってしまった。
ついでながら、ぼくが2010年前期に、半期だけではあるが学部の「日本近代史a」の授業を受け持つことになったのも、もとはといえば安田先生が休講されるため代理が必要、という理由からである。
入院の合間をぬうような形で大学院のゼミに顔を出した先生は、食道をやられているために声はたいへん弱々しく、そのくせ指導の厳しさはいつもとほとんど変わらず、院生が少しでもいい加減な報告をすると、容赦なく斬り込みを入れてくるのだった。
ぼく自身も、ゼミでは批判されたことのほうが圧倒的に多い。論理的破綻については厳しく突っついてくるし、史資料の無批判な引用など、少しでも隙があると容赦なく突っ込んでくる。といって正確だが何の新しい知見もないような、論文の体をなしていないようなものも、当然のごとく批判する。『「皇国史観」という問題』についても、ほんとうはもっと言いたいことがあったのではないか、と思う。とはいえ修了後は「長谷川くんならもう就職できていいんだけど」と期待されていたこともあり、きちんとその期待に応えることができなかったのも心残りではある。
とはいえ、後輩であるMくん(博士課程在籍のまま上海の大学に赴任中)の追悼文などを見ると、やはり現役の院生のほうが衝撃は大きいのではないかと思う。
http://blog.goo.ne.jp/mimutatsu1008/e/67932d6e1381199c264db9551bbd6981
安田浩先生のこと(2011-09-14 23:41:37)
『歴史学研究』第877号(2011年3月)に、伊藤之雄氏に対する批判(「法治主義への無関心と似非実証的論法――伊藤之雄「近代天皇は『魔力』のような権力を持っているのか」(本誌831号)に寄せて」)が掲載された(※)が、その論調が、いかにも大学院ゼミでの院生の報告(それも、どちらかといえば出来の悪い方の……)に対する批判の調子そのままなので、苦笑させられたものである。
発表当時、じつはすでにご本人も死期を悟っていて、今のうちに言いたいことを言っておこうと思っていたのでは、という噂があった。結局のところ、やはりそういうことだったんだろうか、と思う。
なお、同論文も収録されるらしい最後の著作(これも死期を悟ってまとめられていたものなのだろうが……)『近代天皇制国家の歴史的位置』が、大月書店より10月7日より発売されるとのことである。
http://www.otsukishoten.co.jp/book/b94085.html
ISBN 9784272520855
中国ではなかなか入手も難しそうだが、なるべく早く読みたい。
(※)なお、この批判が掲載されるまでの議論の経緯については、当事者のひとりである瀬畑源くんの blog に詳しい。以下を参照のこと。
http://h-sebata.blog.so-net.ne.jp/2006-10-05
書評:伊藤之雄『昭和天皇と立憲君主制の崩壊』
http://h-sebata.blog.so-net.ne.jp/2007-08-29
伊藤之雄氏「近代天皇は「魔力」のような権力をもっているのか」について
http://h-sebata.blog.so-net.ne.jp/2011-02-26
3年前の手紙
……あまり心残り心残りいっても仕方ない。自分にできるだけのことをがんばってこ。