9月10日。恩師の一人である安田浩先生が、10日に亡くなられた旨を、三宅明正先生から知らされた。
ここ数年は癌のため何度も入退院を繰り返しており、それなりに覚悟はしていたのだが、不肖の弟子の一人として、悲しく残念な気持ちが無い、といえば大嘘になる。阜陽での授業が始まったばかりで、おまけに日本へ行くだけでも2日は見込まなければならない僻遠の地とあっては、今すぐ日本に帰れるわけもなく、中国から悼むことしかできないのが残念である。(じつは、しばらくお会いする機会が無く、赴任直前に直接ご挨拶をする機会がなかったので、それだけでも心残りなのである。)
たまに誤解されるのだが、ぼくの千葉大学での学部以来の主任指導教員は三宅明正先生である。なぜかというと理由は単純で、ぼくが1995年に学部に入学した時点では、まだ安田先生は埼玉大学におられたからだ。とはいえ、修士論文と博士論文の副指導教員であるから、恩師であることには変わりない。
院生の指導には厳しいほうで、特に、何よりも発表内容や論文の論理的整合性を重んじ、つじつまの合わない発表、思い込みが勝って論理構成が破綻しているような発表などについては容赦のない突っ込みを入れる方であった。とはいえ、それで鍛えられた院生は多いと思う。
本当に残念なのは、結局、学位論文(『「皇国史観」という問題』)の「その次」をついに見せることができなかったことである。『地図から消えた島々』は差し上げたけれど。まあ、これからも学問研究と、そして今いる「中国」と向き合うことが、少しでも恩返しになれば……と思っている。
ともあれ、あの独特の笑い声がもう聞けないのかと思うと、寂しい。
他にも書くべきことと書きたいことはあるのだけれど、ひとまずはこの辺で。今晩の通夜は阜陽から祈らせていただくことにする。
……追悼のため『天皇の政治史』を読み返したいのだが、あいにく手元にないのだった。
図書館に行って安田浩先生の本を読みたいと思います。