2006年08月15日

ヤスクニ

 「憲法第19条、思想および良心の自由は、これを侵してはならない。これをどう考えるか。まさに心の問題」と言い張り、「8月15日を避けても、いつも批判、反発、そしてこの問題を大きく取り上げようとする勢力、変わらない。いつ行っても同じです」と開き直って靖国神社を参拝した小泉首相の姿を見て、このひとはついに、自分がいったい何を批判されているのか最後の最後まで理解できなかったのだな、といまさらながら情けない気分になる。もとより他人の心の中身をうかがい知ることなどできようはずもないが、政治的なポーズなどではなく、たぶん本気で理解できていないのだろう。――ま、「いつ行っても批判されるのは同じ」というのは確かに間違いではないですけどね。「行くな」という批判なんだから。
 (歴史的経緯はともかく現状としては)国家による追悼施設でもなければそもそも墓ですらなく、天皇のために戦って死んだ(ことになっている)者を、それのみを神として祀っている、そして、近代日本の戦争は基本的にすべて正しい目的にしたがって行われたものであり、なかんずく大東亜戦争はアジア解放のため聖戦だったと主張してはばからない一宗教法人の宗教施設に、一国の首相が参拝する、ということが、いったい周囲にどのように解釈されるのか。靖国神社の思想・主張に同調していると思われているから批判されてるんじゃないか。
 本来、論理的に一貫性を持つ解決策は二つしかないはずである。靖国の思想・主張に同調するか、それとも現在の靖国の思想・主張・性格を理解した上で、(少なくともそれが変わるまでは)参拝を止めるか、のいずれかだ。
 ついでにいえば。
 靖国参拝について何を批判されているのか理解できていない、ということは、そもそも靖国神社の思想・主張を理解できていない、ということである。理解できないまま靖国神社に独自に勝手な意味づけを与えている、ということである。(だからこそ、例の富田メモについては、結局、無視することになったのだろう。天皇のために死んだ者を祀る(ことになっている)神社にとって、その祀られた者について昭和天皇が不快に思っていた、ということは、深刻なアイデンティティの危機であるはずだからだ。)
 そういう意味では――首相の参拝は、靖国神社(およびその思想・主張を支持する側)にとっても、決してありがたい話だとばかりは思えないのだけど。
posted by 長谷川@望夢楼 at 20:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史教育・教科書・歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。
新総裁に代わってこの辺の問題が果たしてどうなるのか気になるところですね。どう転ぶにしても解決にはまだまだ時間がかかりそうな気がします。

妙なトラックバックが来てます、で、じつはマウスの不調が原因で誤ってクリックしてしまったんですがはたしてどうなる・・・?
Posted by ひで at 2006年09月10日 15:19
>トラックバック
たぶんそれほど危険なものではないとは思うんですが、いかがわしいので削除しときました。(なかなか時間がとれない……。)
Posted by 長谷川@望夢楼 at 2006年09月12日 23:33
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