確かに、社会科の先生の意図としては、そういう答えを期待しているのだろう。
が。
困るのである。
というのは、1990年代以後の研究によって、「慶安御触書」は“偽文書”であることが有力視されているからである。少なくとも、この文書が幕府の法令として慶安2年(1649)に出された、という根拠はどこにも見当たらない。当の、慶安2年に幕府から出されたはずの現物は、どこからも発見されていないのである。また、同時代の史料にも、それが出されたという痕跡は見当たらない。
この文書は、実は元禄10年(1697)に甲府徳川藩領内で藩法として配布された「百姓身持之覚書」という文書なのである(さらにこの原型は、17世紀半ばに甲州・信州一帯で流布していた「百姓身持之事」という教諭書であることも判明している。「百姓身持之事」は少なくとも寛文5年(1665)には成立していた)。これが19世紀初頭に入ってから、「慶安御触書」という名前を付けられ、木版印刷で広められたのである。「慶安御触書」の成立過程について詳しく調査し、偽文書説を本格的に打ち立てた山本英二氏は、これを仕掛けたのは幕府御用学者の林述斎(1768-1841)だと断定している。
そういうわけだから、この文書は慶安2年に出されたものでもなければ、幕府の法令でもない。ただし、文書自体が近世のものであることは間違いなく、武家による農民統治の理念を端的に示すものとして扱うことは出来るだろう。
……という話を説明するのは骨が折れるし、なにより中学生に「歴史の教科書には間違いが書いてあることもある」と説明しするのはちと心苦しい(もっとも、最近の歴史教科書はかなり慎重な書き方になっているのだが)。いや面白い話ではあるんですけどね。
このテストで具体的にどのような問題が出されたのかは知らないのだが、もし仮に「1649年に江戸幕府が農民に向けて出した法令の名前は」といったような設問であれば、即刻止めていただきたいと思う。もちろん、「この史料から、武家は農民をどのように考えていたことがわかりますか」といったような設問なら問題はないだろうが……。
この問題については、手近な文献として山本英二『慶安の触書は出されたか』〔日本史リブレット38〕(山川出版社、2002) [Amazon] を参照されたい。最近発行された久野俊彦+時枝務〔編〕『偽文書学入門』(柏書房、2004) [Amazon] でも、「慶安御触書」は偽文書の一例として取り上げられている(p.233)。2005/ 4/23追記。厳密にいえば、「百姓身持之覚書」という近世文書自体は真正のものなので、この文書そのものを「偽文書」というのは適切ではない。いわば「慶安御触書」は二次的に偽文書にされてしまった文書なのである。というわけで「“偽文書”」という表現に直しました。
ラベル:偽書
これは、慶安の御触書等と異なり、実害をもたらしていますが、日本ではほぼ否定されているのに、中国等では本物説が結構強い(かった)のですね。驚きました。
ただし、本物説も、外部に流布されたものは、皇居内で密かに書き写したものなので、本物と違う点があるとしていて、完全な本物とはしていないようです。
下の本を読みましたが、インチキ文書を作っても、なかなか否定されないということですね。
日中歴史認識―「田中上奏文」をめぐる相剋 1927‐2010 (単行本)
服部 龍二 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E4%B8%AD%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E8%AA%8D%E8%AD%98%E2%80%95%E3%80%8C%E7%94%B0%E4%B8%AD%E4%B8%8A%E5%A5%8F%E6%96%87%E3%80%8D%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%8B%E7%9B%B8%E5%89%8B-1927%E2%80%902010-%E6%9C%8D%E9%83%A8-%E9%BE%8D%E4%BA%8C/dp/413023059X/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1275156118&sr=8-1