2011年05月14日

地方紙に見る関東大震災についてのデマ記事(続)

 前回、「名古屋大震災」「富士山噴火」の記事を入れていなかったので、それも含めて補足。今回は号外だけでなく、本紙に掲載されてしまったものも含んでいる。

 ちなみに、このころはまだラジオ放送が行われていないので、新聞が最も速報性の高いメディアだった。このころの号外は、現代でいえば、テレビやラジオのニュース速報に近いものである。関東大震災の際には、1日に3度も4度も出した新聞社もある。

 なお、こうしたデマ記事が掲載されてしまった背景について、少し説明しておくべきだろう。まず、東京の電信・電話施設は、地震発生とともに物理的に壊滅してしまい、東京は文字通り音信不通になってしまった。鉄道や道路も寸断されており、被災地への直接取材もままならない。おまけに、東京の新聞社はすべて物理的に壊滅している。つまり、地方紙にとっては、震災発生から数日の間は、信頼のできる情報がもたらされない、情報の裏をとりたくてもとれない、という状況に陥ってしまったのである。そのため、あらゆる手段をとって情報をかき集めた結果が――いかがわしい伝聞記事や噂話のオンパレードとなってしまった、というわけである。

◎名古屋大震災

名古屋も全滅?/詳細いまだ不明

(二日午前五時船橋無線電信局発小樽碇泊丁抹丸受信)[…]▲第七信傍受せし所に依れば横浜及名古屋は全滅せり

名古屋全滅の原因も地震と火災

名古屋地方にも強震火災起り全滅せりとの噂あり(三日仙台逓信局着信)[『小樽新聞』9月3日付号外第3、9月4日付本紙にも再録]

 「船橋無線電信局」というのは、千葉県東葛飾郡塚田村行田(現・船橋市)にあった海軍無線電信所船橋送信所のこと。東京近郊で唯一生き残った無線施設として、東京の被害状況を全国に伝える役割をになった。ただし、それが同時に、東京での流言やデマまで一緒に全国に広めてしまった、ということもよく知られている。出所が船橋送信所である、というのが正しいとすれば、これもその一例かもしれない。それにしても、「噂」レベルの話を見出しつきの記事にするとは……。

◎富士山が噴火

●東京大災震(第一報)/横浜、横須賀、全滅か

[…]震源地は三説ありて一は鹿島灘と云ひ或は富士山の爆発と云ひ或は天城山の爆発と云ひ何れが真なるや不明なり。

(九月二日午前七時本社特報)[『荘内新報』号外第1報]

 三つとも全部ハズレ。ちなみに天城山は火山ではあるが、その活動は約20万年前に終わっている。

◎横浜が海底に沈没

●震源地は天城山 第十二報/横浜全市海底に没して跡方なし

大強震、震源地は天城山にして、伊豆、伊東、下田方面は惨状言語に絶し倒壊家屋無数死者亦[また]算すべからず 所沢飛行隊は八台の飛行機を以て、東京市上空を偵察中、遂に皇居に延焼せるを確認せるも何等施すべき策なくして空しく引揚げ日光田母沢御用邸に御避暑中の陛下に奏上する所ありたり

◇名古屋電報

当地惨害甚しく駿河町は全滅し死者七八百名宛然生地獄を現出す

[…]

◇所沢特報

当場飛行機八台をして横浜市を偵察せしめたるに、仝市全部水中に没し、一の家屋を発見する能はず空しく引上たるも更に飛行活躍しつゝあり

[…](二日午後十時半特報)[『荘内新報』号外第12報]

 天城山が震源、というのはまだ許せるとしても、「皇居炎上を確認」「名古屋大震災」「横浜沈没」あたりは唖然とせざるをえない。いったいどこから情報を集めてきたのだろう。「名古屋電報」というのはほんとうに名古屋からの電報なのか。駿河町という地名は名古屋にも東京にもあるんだが。

◎山本権兵衛首相「暗殺?」

山本権兵衛伯暗殺?/各種の情報は何うやら真らしい/大混雑中に何者かの兇手に殪[たお]

山本権兵衛伯の暗殺説は全市無警察の状態なれば、未だ俄[にわか]に信を置き難いが長野運輸事務所より高崎へ高崎より大宮へ大宮より更に東京上野駅に連絡した情報は三回とも山本伯の暗殺説を伝へてゐるから或はどさくさ紛れに山本伯は何者かの兇手に見舞はれたのではないかと思惟される(長野電話)[『京都日出新聞』9月2日付本紙夕刊]

 「?」をつければいいって問題じゃないだろう。3回問い合わせた結果が同じだから事実である可能性が高い、というのもひどい理屈だ。

◎「不逞鮮人」が山本首相を暗殺、摂政宮裕仁親王も行方不明

●山本首相暗殺??/主義者の暴動

[…]尚[なお]茲[ここ]に驚愕すべきは、山本首相が一日午後不逞鮮人の為に暗殺せられたりとの報あり、

然も尚恐懼すべきは摂政宮殿下が一日午後自動車に召されて何れかの方面にか御出向遊ばされたる侭[まま]行方杳{よう]として知れず憂慮に堪えざるものあり

不逞鮮人主義者一派は混乱に乗じて暴動を起し、赤羽火薬庫砲兵工廠を襲ひ爆発せしめたり

但し吾人は是等の報道の希[こいねがわ]くは嘘報ならん事を祈るものなり(九月二日午後四時特報)[『荘内新報』号外第9報]

 「不逞鮮人主義者一派は…」の箇所は、この種のデマの典型的なパターン。朝鮮人や社会主義者が、いかに偏見の目で見られていたかを露骨に示している。

 「不逞鮮人の暴動」というデマが山本首相暗殺デマに結び付けられている、というだけでもひどいのだが、なんと摂政宮裕仁親王(のちの昭和天皇)が行方不明だという。こんなものすごいデタラメを報じておきながら(しかも典拠が示されていない)、「嘘報ならん事を祈る」もなにもないもんだ。

 他紙の大部分が、とりあえず摂政宮は無事、と報じている中で、このパターンは珍しい。

●山本権兵衛伯暗殺の噂/不逞鮮人の仕業といふも真偽全く不明

山本伯が大の地震騒ぎの中に不逞鮮人の為めに暗殺されたとの報があり又不逞鮮人及び反政府党が共謀砲兵工廠及海軍省を爆発せしめたとの報がある山本首相の暗殺されたといふ報は上野運輸事務所から出たものだといふことだが未だ何等根拠とすべきことなく信ずべき材料も無い(二日青森発)[『小樽新聞』9月3日付本紙]

 「何等根拠とすべきことなく信ずべき材料も無い」と思ってるんなら報道するなよ。

◎伊豆七島全部噴火、いっぽう伊豆大島は異状なし

伊豆七島噴火/大地震の再襲来はあるまいと気象台員語る

【高崎電話】伊豆七島は目下全部噴火して居る之[こ]れに関し中央気象台員は語る『噴火してももう大丈夫だ大地震は再び来ぬのが原則である』と

海嘯に襲れた下田/一時陥没を伝へられた大島は異状なし

【静岡電話】伊豆大島は通信不能の為め状況が知れず一時全島陥没したとの説があつたが電信も通じ何等の異状もなかつた事が判明した[…]此の日[9月1日]伊豆大島の三原山が噴火するのではないかと下田、稲取両町民は不安に襲はれ殆ど全町民は二日二晩竹藪の中に避難したが四日大島へ電信も通じ天城通い自動車が開通して居る(静岡経由下田来電)[『九州日報』9月6日付号外第2]

 何が凄いかって、このあからさまに矛盾する2つの記事は、同じ号外の紙面で仲良く隣り合っているのである。出所が異なるとはいえ、変だと思わなかったんだろうか。

 「噴火してももう大丈夫だ、大地震は再び来ぬのが原則である」という中央気象台(気象庁の前身)のコメントも問題がある(そもそも噴火自体もデマだし、このコメントも実際に出されたものかどうか不明だが)。確かに同程度の規模の地震が同じ場所で繰り返し起きる、ということはないにせよ、余震はまだ続いている。4ヶ月後の1924年1月15日には、 M 7.3 (つまり兵庫県南部地震=阪神・淡路大震災と同じ規模)の「丹沢地震」が発生、神奈川県中南部を中心に死者19人を出している。

◎松方正義に聞く“死んだ感想”

松方公元気に復る

鎌倉別邸に静養中負傷した松方老公は目下勧銀[日本勧業銀行=現・みずほ銀行]理事川上直之助氏別邸に静養中であるが左大腿部外全身八ケ所の擦過打撲傷を負つたが今日では大腿部を除く外は全部治療し極めて元気である九日川上氏邸に公を訪ふと漸く歩けるやうになつたと病室から縁側に進み藤椅子に依つて団扇を使ひ乍[なが]ら『死んだものが居るのだから幽霊の写真が出来よう』と悪口を叩きニコ/\しながら[…](東京電話)[『福岡日日新聞』9月11日付号外]

 最後におまけ。「死亡」と大々的に誤報されてしまった元老の松方正義から、新聞記者にひとこと。なお、この記事には松方の写真は掲載されていない。

posted by 長谷川@望夢楼 at 01:43| Comment(4) | TrackBack(0) | 歴史の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
デマ記事の凄さに、ただ唖然。
誤報を出した事について、反省記事を出した地方紙があるのか、個人的に気になりました。
図書館に行って調べてみようと思います。
Posted by ダグラスリーフ at 2011年05月14日 23:18
じかに記事に当たっていると、だんだん慣れてきてしまって、またいい加減なこと書きとばしてるな、という程度にしか思えなくなってきてしまいます。
「松方公死去」のたぐいの露骨な誤報についての訂正記事は当然出されているわけですが、反省記事がこのころ出せたか、ということになると怪しいですね。
Posted by 長谷川@望夢楼 at 2011年05月15日 02:25
以前、北杜夫がエッセイに書いていましたが、関東大震災の時、斎藤茂吉はドイツに留学中で、現地の新聞報道で大震災を知ったとの事です。その内容は不正確で多分に誇張してあったもようで、日本列島壊滅の様な記事に、斎藤茂吉は大変心配したとの事です。考えて見れば、不正確で誇張・・という点では、現代の日本の新聞も同じかと思いますが・・。
Posted by 赤井芳弘 at 2011年06月29日 02:44
以前に知人から聞いた話ですが、彼はトルコで地震(1999年の地震?)があったときにたまたまトルコを旅行していたのだそうです。具体的にどこかは忘れましたが、震源地からは遠いところで(ちょうど東日本大震災のときに九州にいたようなもの)、本人は特に気にせず遊んでいたところ、後で家族から「なんで連絡をいれないんだ」と叱られたとか。
 あまりなじみのない外国で、土地勘がないと、被災規模がつかみにくくなるのは、これは仕方のないことだと思います。

 ついでに……。大正初期ぐらいまでの新聞の杜撰さは、今の新聞とは比べ物になりません。どのくらい杜撰かというと、明治・大正期の新聞だと、誤植はあって当たり前。感覚が違うのですね。
Posted by 長谷川@望夢楼 at 2011年06月30日 06:30
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