以前に教育勅語の「国民道徳協会訳」なる奇怪な「現代語訳」(と呼べるようなものではない)について書いた(「教育勅語「国民道徳協会訳」の怪」2005年7月19日)のだが、その「国民道徳協会訳」を下敷きにしたと思われる、さらにわけのわからん「訳」を見つけた。(経由:ONO-Masa Home Page はてな出張所/教育基本法特別委員会委員 大畠章宏氏(民主党)HPより または「誰によってワタシは代表されているのか・代表されたことになっているのか?」について(2−2)。)
LETTER from OHATA No.317 「私たちの歩むべき道」(2006年6月12日)(大畠章宏の市民情報交換室)
明治天皇ご制定「教育勅語」の現代語訳
通常国会における「教育基本法に関する特別委員会」の実質審議が、6月8日の一般質疑をもって終了しました。法案は継続審議となる見込みです。さて、現在の「教育基本法」の前身である「教育勅語」は、明治23年、明治天皇により制定されたものでありますが、現代社会ではめったに目にする事はありません。いったいどのような内容なのか。茨城県信用組合の幡谷祐一理事長からいただきました『王道』という社員教育用小冊子の中に、現代語訳された「教育勅語」を見いだしましたので、以下にご紹介いたします。
『私たちの歩むべき道』(教育勅語の口語訳)
『私は、私たちの祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民はよき伝統と習慣を形成しながら心を合わせて努力を重ね今日の成果をあげてまいりました。これは、もとより日本のすぐれた国柄の賜とも思われますが、教育の根本もまた、世界の中の日本として道義立国の達成にあると信じております。
私たちは、子は親に対して孝養を尽くすことを考え、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合うようにし、夫婦は仲睦まじく温かい家庭を築き、友人は胸襟を開いて信じあえるようにしたいものです。そして、生活の中での自分の言動については慎みを忘れず、すべての人々に愛の手をさしのべ、生涯にわたっての学習を怠らず、職業に専念し、知性や品性を磨き、更に進んで、社会公共の為に貢献することを考え、また、法律や秩序を守り、非常事態や社会生活に困難が生じたような場合には、真心を持って国や社会の平和と安全に奉仕することができるようにしたいものです。これらのことは、日本国民としての当然のつとめであるばかりでなく、私たちの祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を一層明らかにすることでもあります。
このような私たちの歩むべき道は、祖先の教訓として、私たち子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらない正しい道であり、日本国民ばかりでなく、国際社会の中にあっても、間違いのない道であると考えられますから、私もまた、皆さんと共に、祖先の正しい教えを胸に抱いて、立派な日本人、そしてよき国際人となるように心から念願しております。』
大畠章宏氏は民主党所属の衆議院議員だが、何のつもりでこの「訳」を紹介したのか、いまひとつはっきりしない。少なくとも批判するためではないようだけれど。(6/30追記:大畠議員は、6月2日の衆議院「教育基本法に関する特別委員会」の席でこの「訳」文を配布した上、肯定的に評価している。) 「教育基本法」の前身である「教育勅語」」といった言い方も引っかかる(そもそも教育勅語は法令ではない)のだが、とりあえずそのことは措いておく。
この「訳」が「国民道徳協会訳」を下敷きにしていることは、文章全体の流れや「道義国家」「道義立国」といった言葉の選び方などからも明らかなのだが、よく見るとかなり異なっている部分もある。
たとえば、「我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス」のくだりは、「国民道徳協会訳」では「そして、国民は忠孝両全の道を完うして、全国民が心を合せて努力した結果、今日に至るまで、美事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます」となっていたのだが、この「訳」では「克ク忠ニ克ク孝ニ」(「忠孝両全の道を完うして」)の部分を「よき伝統と習慣を形成しながら」と全く意味の違う言葉に置き換えた上、「世界の中の日本として」という、原文には該当する部分のない言葉を付け加えている。
さらに問題なのは第二節の徳目条項。原文は「爾臣民……スヘシ」とあるように、明治天皇が臣民に下す命令という形をとっており、「国民道徳協会訳」ですらも「国民の皆さんは……しなければなりません」と、基本的な形は生かされているのに、ここでは「私たちは……したいものです」と、主語が改竄されている上、あたかも明治天皇自身を含めた全国民の努力目標であるかのように語られている。その他にも、「生活の中での」「生涯にわたっての」「真心を持って」などといった、原文に該当する部分のない修飾が付け加えられているし、「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」は当たり前のように無視されている。
末尾の、「立派な日本人、そしてよき国際人となるように心から念願しております」というのもわけがわからない。原文は「其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」。これを「立派な日本人となるように、心から念願するものであります」と「訳」した「国民道徳協会訳」も十二分にデタラメなのだが、この「訳」はそれに輪をかけてデタラメである。「国際人」なんていったいどこから出てきたんだ。
どうもこの「訳」は、「国民道徳協会訳」を、原文もろくに確認せずに適当に改竄したものとしか思えない。ともかくも、こんなものは「訳」ではない。教育勅語に似た何か別のものである。
何故にここまで改竄してまで教育勅語にこだわるのか、とも思うのだが、おそらくこの手の「訳」を奉じる人々にとっては、勅語の具体的な内容よりも、この勅語が明治天皇によって発布された、いわば一種の聖典である、ということの方が重要なのだろう。聖典は神聖なものであるから、たとえ不都合な点があったとしても作り直すことはできない。したがって、時代や状況にうまく適合させるためには、巧みに読み替えを行う必要が出てくるのである。
個人的には、もし、この手の「訳」のデタラメさ加減に気付いていないんだったら、そんな程度の人間に「教育」などを語って欲しくはないし、もし、知った上でわざとやっているんだったら、そんな人間に「道徳」などを語って欲しくはないのだけど。