2011年03月14日

帰宅困難日記(3月12日)

(11日分からの続き)
 携帯はなかなかつながらなかったが、12日早朝になったようやくつながった。

# やっと携帯からつながった。千葉市民会館で仮泊中。いったん千葉駅に向かったのは判断ミスだったといまさら後悔。結果はほとんど同じか。 3:52 AM Mar 12th

# 関東圏でも被害がここまで大きいとは思わなかった。また余震だ。今日はJR動かせるんだろうか。もさて、予定通りであれば本日は同時代史学会定例研究会なわけですが。PCメール読める状況でないのです。 4:03 AM Mar 12th

# え、長野で震度6強? 別の大地震? いったん寝る。 4:08 AM Mar 12th

 3:59に新潟県中越地方を震源として発生したマグニチュード6.6の地震である。東北地方太平洋沖地震は明らかなプレート境界型地震なのに、その余震が新潟での内陸地震というのは、あまりに場所が離れすぎていないか。プレートも違う。余震ではなく、別の地震が偶然発生した、ということなのか? それにしたって、なぜこのタイミングで? まるで小松左京の『日本沈没』じゃないか。
 2時間ほど仮眠をとり、6時過ぎに起きる。朝になると、さらにとんでもない状況が明らかになってきた。
 NHKでは福島県南相馬市(相馬市だったかもしれない)の状況を映し出している。海岸の町が水没している。昨晩からコメンテイターとして延々とコメントを続けていた都司嘉宣氏が、「気になるのは、潮の流れが見えないんですね。もしかしたら陥没しているのかもしれない」などと語り出した。
 真っ先に思い浮かんだのは白鳳地震である。瓜生島では無かった。イメージとしては白鳳地震のほうがぴったりだったのである。
――『日本書紀』巻第29(天武天皇下)・天武天皇13年[684]十月壬辰条。「壬辰、逮于人定、大地震。[…]土左國田菀五十余万頃沒爲海。」(壬辰〔みづのえたつのひ〕に、人定〔ゐのとき〕に逮〔いた〕りて、大きに地震〔なゐふ〕る。[…]土左国〔とさのくに〕の田菀〔たはたけ〕五十余万頃〔いそよろづしろあまり〕、没〔うも〕れて海と為る。)
 ……「桑海の変」という言葉を思い出す。
 もし陥没だとしても、規模はせいぜい数メートル程度だろう(後でわかったが、実際に約 70cm 陥没していた)。それでも、これだけの規模の被害が生じるのだ。陥没だとすれば、海水はずっと引かないことになる。そうでなくても、これだけの冠水はあまりに衝撃的だ。そして、この海水に呑みこまれた人間は、確実に多数にのぼるはずなのだ。
 ……沈没伝説は……やっぱり、歴史のロマンなんかじゃない。そこにあるのは、大災害であり、そして膨大な数の死者なのだ。

# おはようございます、っていうかまだ電車動いてない。NHKで相馬市の状況を写してたが、憶測でものを言うべきではないのだろうが、もしかして、白鳳地震や豊後地震もあんな状況だったんだろうか? 大津波警報がまだ解除できないのも驚き。 6:40 AM Mar 12th

 この時点で、確認された死者数はまだ1000人前後だったと思う。しかし、実際の死者数はそれをはるかに上回ることは、容易に想像がついた。どうやら、海岸部はとんでもないことになっているらしい。
 三陸地震津波といえば、田老の 10m 防潮堤がすぐに連想される。明治・昭和の2度の大津波の教訓から建造され、1960年のチリ地震津波では完璧に威力を発揮したという代物だ。あれはどうしたのだろう。もしかして……あの大防潮堤ですら、防ぎきれなかったのか? (後で知ったが、本当に防ぎきれなかったのだという!)
 総武線は7時過ぎに再開の見込み、ということだが、内房線・外房線その他は不明。7時過ぎ、市民会館を出て駅へ行くが、案の定動く様子がない。5:30現在の千葉駅からの発表によれば、京葉線と武蔵野線は「本日午後以降、運転再開の見込み」だが、佐倉以遠の総武線と内房線・外房線・東金線・久留里線・成田線(佐倉〜成田空港間は除く)・鹿島線は「運転再開のめどは立っておりません」という。つまり、12日中に再開するかどうかすらわからないのである。もしかして、千葉に2晩も泊まることになるのか? 路線バスは動いているが、バス停は長蛇の列になっている上、乗り継ぎをしなければ家までは帰れないし、そもそも乗り継ぎ経路がよくわからない。
 7:45。とりあえず駅近くのネットカフェに入り、メールを確認する。案の定、同時代史学会の定例研究会は中止ということになっていた。とりあえず Twitter で告知を出す。

# 千葉駅近くのネットカフェより。東京方面は動きだしたが、千葉以南は再開の見通しすら立たない模様。さてどうしたものか。 7:54 AM Mar 12th

# 本日の同時代史学会研究会および理事会は中止です! 7:58 AM Mar 12th

 小一時間を要してホームページを修正。

# ホームページ上にも告知を出しましたがあらためて確認します。本日の同時代史学会定例研究会は中止です。それでは、なんとか帰宅を試みてみることにします。 8:40 AM Mar 12th

 8:45、ネットカフェを出て千葉駅に引き返す。

# 千葉駅。まだ内房外房動かない…。 9:02 AM Mar 12th

 千葉駅のテレビモニタでニュースを見る。やっとのことで避難所に逃れて来た被災者の姿を見て、これはまさしく「津波てんでんこ」(山下文男)ではないか、と慄然とする。
 外房線と内房線はなかなか動かない。大津波警報が出されているため安全確認ができない、とのことだが、外房線は茂原あたりまでは内陸を走っている。茂原か、せめて大網あたりまでなら走らせられそうなものだ。たぶん、土気トンネルの辺りか、あるいはあちこちにある軟弱地盤のほうの安全確認に手間取ったのだろう。
 確か11:30頃、ようやく内房線と外房線が動く見込み、という発表があった。13時に内房線の千葉〜君津間、18時に外房線の蘇我〜茂原間が動く見込み、とのことである。まぁ、予定時刻は当てにならないとしても、今日中に動くのは確実だろう。
 昼過ぎ、いったん路線バスに乗って蘇我まで行ってみるが、運転が再開されたはずの京葉線にかなりの混乱が見られる。蘇我に来たのは間違いだったと思い、16時頃、再開された内房線(上りはガラ空きだった)に千葉に引き返す。その間に福島第一原発が爆発していたのを知って唖然とする。
 18:37頃、ようやく外房線が茂原まで動くという発表があり、ただちに乗り込む。18:45、18:48に発車するとの放送が流れた。予定通り出発。地震発生から約28時間後のことだった。意外だったのは、電車内がたいして混雑していなかったことである。もちろん座れるほどではないが、普通の帰宅時とほとんど同じくらいの混み具合だった。要は、28時間も待ちぼうけをやった奴はそれほど多くなかった、ということなのだろう。

# 帰宅ー! まさか電車が28時間も止まるとは思わなかった。部屋の惨状は想定の範囲内というかこの程度で済んで良かった。 9:19 PM Mar 12th
ラベル:日記
posted by 長谷川@望夢楼 at 00:55| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
被災地の方、お見舞い申し上げます。
亡くなられた方の御冥福を祈ります。
車でNHK−FMを聴いてたら,安否情報でした。
一人でも多く助かってほしいと思いました。
Posted by ダグラスリーフ at 2011年03月14日 01:02
「膨大な数の死者」、重い言葉です。
さて日本の為政者は、この言葉にどう反応するか、ききたい気持ちです。
Posted by ダグラスリーフ at 2011年03月14日 01:17
わっ。素早いですね。
まあ、現状では、誰が為政者を担当していようと、この程度のことしかできないだろう、とは思います。最善の対応とは言えないとしても、これが対応次第で劇的に良くなるとはとても思えない。あと数日間は、素人にはどうにもならない。とにかく現場で救助活動をしている方々に頑張ってもらうしかないでしょう(あと、福島第一原発の状況悪化を食い止めようとしている人たちもか)。何か問われることがあるとすれば、そこから先のことではないでしょうか。
Posted by 長谷川@望夢楼 at 2011年03月14日 01:35
NHKをみていたら「計画停電 鉄道影響」のニュースにびっくりしました。首都圏の人たちは大変だと思いました。個人的にはバス会社が頑張ってほしいです。でもバス会社も、そう簡単に対応できないでしょう。通勤,通学の人たちはたくさんいるからです。一日も早く,停電解除出来たら良いなあと思います。
Posted by ダグラスリーフ at 2011年03月14日 07:18
>バス会社
現状でも頑張ってますが、無理だと思います。11〜12日の千葉駅の状況を見た限りの感想ですが、キャパシティが圧倒的に足りない。まあ、学校と、不要不急の仕事は休むべきでしょう。
Posted by 長谷川@望夢楼 at 2011年03月14日 17:43
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。