久々の本館更新です。「消えたハワイ・クリッパー飛行艇――沖ノ鳥島最初(?)の新聞報道」を公開しました。
もとはといえば、各種新聞記事データベースで何の気なしに「沖ノ鳥島」を検索してみて、たまたま、1938年7月に起こった、パン・アメリカン航空の太平洋横断飛行艇が跡形もなく消え失せてしまった、という、この不可解な事件にぶちあたったのがきっかけでした。一見すると簡単に書けそうでしたが、これがまたかなりの難物。そもそも戦前の航空機事故については文献が少なく、どこから手をつけていいのかもわからない。
さらに困ったのが、この事故を日本海軍の陰謀だとする珍説が存在すること。いくら日本軍が残忍で無謀で謀略好きだといっても、旅客機を一機丸ごと、しかも乗員・乗客ごと消し去っておいて、そのことが半世紀以上もバレないとはおよそ考えられない。とはいえ、ありそうもない、というだけで済ませるわけにもいかない。おかげでいろいろ余計なことを調べる羽目になってしまいました。
ところで、この事件で本当に不思議なのは、これだけの事件がすっかり忘れ去られてしまっていることかもしれません。普通なら奇現象研究家が喜んで飛びつきそうなものですが、そんなこともないようです。この前年に起こったアメリア・エアハートの失踪事件が、現在でも航空史上最大のミステリー扱いされているのとはえらい違いです。
本篇ではあまり詳しく書きませんでしたが、調べていくいちに一番呆れたのが桂林号事件でした。1938年8月24日、日本海軍機が中国の民間機を珠江上空で誤認(?)攻撃して不時着させ、浙江財閥の大物2人を含む14人を死なせておいて、「危険空域を飛んでいた方が悪い」と開き直った、という代物。民間機撃墜の歴史の発端を作ったのは他ならぬ日本であったわけです。しかも、この事件もまた、すっかり忘れ去られてしまっている。
普通ならこの程度で済むとはとても思えないのですが、戦場で起こった事件なので(民間人を巻き込んだ被害という点でいえば、前年の南京事件やこの年の広東爆撃、この年の年末から始まる重慶爆撃など、はるかに規模の大きな事態が次々と引き起こされている)、アクシデントとして済まされたようです。
なお、信頼できるかどうか判断がつけられないので紹介も引用もしませんでしたが、中国語や英語(CNAC Kweilin などのキーワードで検索のこと)のウェブサイトはある程度あります。