2010年02月24日

「ゲーデルの不確定性定理をちょっとかじっていれば」?

「〔…〕偏微分方程式を駆使した金融工学に欧米の圧倒的大多数の人々が騙された。しかし、ゲーデルの不確定性定理〔原文のママ〕をちょっとかじっていれば、数学などというのは矛盾だらけの世界だということがわかる。あるいは宗教と言ってもいい。それに騙されない日本人の思想が重要なのだ」(佐藤優『日本国家の神髄――禁書『国体の本義』を読み解く』産経新聞出版/扶桑社=発売、2009年, p. 85.)

 念のために書いておけば、これは佐藤優自身の発言ではなく、2008年10月末に佐藤氏があるイスラエル人と会話したときに、そのイスラエル人が語った言葉、ということになっている。
 どういう文脈かというと、

佐藤「日本人はぼんやりしているので、金融派生商品のようなよくわけがわからないものには手を出さなかっただけだ」
イスラエル人「わからないことをわからないと認めることができるのが日本人の頭のよさなんだよ」

というものである。そして、「日本人の頭のよさ」「日本人の思想」の中身は、後で「われわれ日本人の生活は、高天原における神々の生活に対応している」「高天原の実在に対する感覚を取り戻すことが重要だ」(同, p. 87)と説明されている。
 それにしても、このイスラエル人はいったい何を「ちょっとかじって」たんでしょうか。まあ、「不確定性定理」は「不完全性定理」(incomplenteness theorem. なお「不確定性原理」は uncertainty principle)の単純な書き間違いだろうが、そもそも、金融工学の失敗を論じる際に、理性の限界なんて話を持ち出す必要がどこにあるんだろうか。だいたいこれでは、理性には限界があるがゆえに、理性とは宗教であり信頼するに値しない、という、それこそ宗教的な話になってしまう(まあ、この本の主張を煎じつめると、そういうことになってしまうのだけれども)。

 しかしこのネタ、佐藤優はあちこちで使いまわしてたんですね。(参照:liber studiorum佐藤優と「偏微分(笑)」・ネタふり編(5)
posted by 長谷川@望夢楼 at 22:35| Comment(4) | TrackBack(1) | 疑似科学・懐疑論・トンデモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ここ数日都内は暖かいですが、千葉はいかがですか?
佐藤優氏の著作は、初期の頃は、真偽チェックはできないものの、それなりに面白い話でしたが、段々うさんくさくなって読まなくなりました。

遂にゲーデルですか!諸語に通じてゲーデルを理解するとは、すばらしい。こんな人滅多にいません。日本最高クラスの天才でしょう。本当だとすれば。何故わざわざ外務省の課長補佐級の仕事なんかしていたのか知りません。

私なら論文を書いて女子大の先生になりますよ。
(これは冗談)

なお、同氏が自著の中で、有罪判決を批判していますが、実際に判決文を読んでみると、随分変な批判だと思われます。
(自著では、公費を外国人派遣等に用いる省内決済に上司が押印しているので、無罪だとしていますが、判決文では、押印は認めた上で、それは国会議員の圧力によるもので、背任の成立を妨げないとしています。概略なので正確ではありませんが。)
ここでは有罪無罪を論じるつもりはなく、自著で判決文の内容をきちんと説明しているかに疑問があるということです。

著書の中で、私が真偽がチェックできるのはそこだけですが、そこが信用できないとなると、他も・・・と思われます。

ある政治学研究者も真偽チェック不能の内容と指摘しましたが、このような本が、やたら持ち上げられるのは何故でしょうか?
どうも、(元)官庁職員が官庁批判をすると、真偽をろくにチェックせずに持ち上げる雰囲気が報道機関にあるようです。
官庁批判をするなとは言いませんが、その官庁批判が本当だという保証はないのは理屈で考えれば判るはずですが。
長いコメント失礼しました。
Posted by カスパー at 2010年02月25日 00:08
長谷川様 初めてコメント致します。

佐藤優氏がいかなる知性の持ち主かは知りませんが「数学などというのは矛盾だらけの世界」という記述は倨傲に過ぎる・・と思います。数学は解明できていない問題点を一つずつ、矛盾無く処理して進歩していく学問ですから、現時点で確立している数学の知識が矛盾だらけ・・というのは理解できません。ただ、数学の比較的に易しい理屈を金儲けに応用した金融工学なるものがうさんくさいという点には同感ですが・・・。

ゲーテルは結構ですが、佐藤優氏の著作に言及したりすると、望夢楼の評判に関わるのではないかと、密かに心配します。
Posted by 笑うオヒョウ at 2010年02月25日 23:15
佐藤氏は、ひょっとして、ある種の病気なのかもしれない。
それは、自分はノーベル賞を取るに値する偉大な人物であり、一流の研究者さえ陰謀により自分を否定し、また、国家権力も自分を陰謀により抹殺しようとしている。そのために自分の偉大な思想が世の中に広がらないと考える病気。
とんでも病である。
商売のために、変なことを書くのなら別に勝手ですが、中央官庁の仕事がこんな人間の批評で社会からの理解がゆがんだら困ります。
Posted by カスパー at 2010年02月26日 00:12
重複書き込みを削除しておきました>カスパーさん。

 ちょっとしたネタふりのつもりだったんですけどね。長い本の中のほんの一文ですし、内容自体はありがちな文系似非インテリの知ったかぶりですから。
 そもそも、文中にも書いておきましたように、言ったのは佐藤氏の知人であるイスラエル人です(ということになっています)。つまり佐藤氏は、人から聞きかじったいい加減な知識を、後であちこちで振りまいている、ということになるのです。それじゃ余計駄目じゃないか。

 そもそもなんでこんな本を読んだのかというと、『国体の本義』の「解読」、というので、専門分野としていちおう目を通さなければならないかな、と思って読んだのですが、……ま、参考文献に高校生用の参考書(『日本史B用語集』)が含まれている(というより歴史関係の書物はその一冊だけ)、という時点で程度が知れるというものです。『国体の本義』に対する「禁書」という表現も不必要におどろおどろしいし(確かに終戦処理の過程で絶版にされているのは事実だが、この本は一種の国定教材なので、一般の図書に対する検閲と同一視できない)、戦後一度も復刻されていないという、調べればすぐにわかるデタラメも書かれていますし(2003年に日本図書センターより『戦後道徳教育文献資料集』第1期第2巻として復刻。それ以前にも、大日本雄弁会講談社から1956年に刊行された『近代日本教育制度史料』第7巻にほぼ全文が収められている)。読解自体に重大な間違いはないようですが(全文引用してるんだから当然か)、その『国体の本義』の内容にそのまま同調して天皇機関説を否定したりするんだから呆れます。
Posted by 長谷川@望夢楼 at 2010年02月28日 07:17
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佐藤優と「偏微分(笑)」・「不完全性定理」編(2)
Excerpt: 「不完全性定理」がらみでの話を続けますが、その前に一つ。前の記事についたはてブコ
Weblog: liber studiorum
Tracked: 2010-03-21 18:38
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