2009年10月14日

いまさら言っても詮無いことではあるが……。

 「成田空港は都心から遠くて不便」式の批判を聞くたび、千葉県民としてはなんだか嫌な気分になるのである。
 断っておくが、成田を盛りたてるべきだ、と思っているのではない。そもそも、開港の経緯からして、あの空港の存在自体に決して好感を持つことができないのである。そもそも、成田空港から直接“恩恵”を受けるような地域に住んでいるわけでもないし(まあ、“恩恵”を受ける地域では、騒音もひどかったりするのだが)。
 何が言いたいかというと、そんな議論は43年前にすべきことだったのではないか、ということである。都心から遠すぎる、ということなど、1966年(昭和41)の設置決定の時点でわかっていたことである。空港の規模にしても、確かに反対運動のために縮小を余儀なくされた点も一部にはあるが、もともと、設計段階から、国際空港にしては規模が小さいことが指摘されていたのである。当時からそうした議論をしておけば、そもそも空港が成田に来ることなどなかったし、したがって、戦後最大級の反対闘争が繰り広げられ、数十年の長きにわたって問題がこじれ続けることも、そして、地域社会がずたずたに破壊されることもなかったはずである。
 まあ、若干の弁護をしておけば、1966年当時は、新幹線も高速道路も通すから問題はない、ということになっていたのも事実である。結局のところ新幹線は通らなかったし(やはり、地域住民にとっては騒音がうるさいだけでメリットが皆無、という致命的な弱点があったのが痛い)、高速道路は通ったもののアクセス問題の解決にはならなかったのだが。
ラベル:千葉県
posted by 長谷川@望夢楼 at 07:09| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
成田空港を思い出すたびに、あの本を思い出します。祝康成さんが書いた「真相はこれだ!」(新潮社)という本です。この中に成田空港が書いてあります。読後感としては、誰が決定したのか、関係者みんな分からないと言っている事に、愕然しました。もしかしたら、どこかで真摯な議論はあったかもしれません。しかし、議論があったとしても、ほとんど、無視して進めていることに寒さを感じました。第三者の参加を実質的に許さず、密室で秘密的に進められていることに、戦前と変わっていないと思いました。太平洋戦争が終わったというのに、日本のお偉方は学習能力が低いようです。今も地元住民と警察は、代理戦争を強いられている感じがします。悲しいです。一度、成田空港及び周辺を訪問したいのですが、お金が無いので行けません。これもまた、悲しいです。乱文で申し訳ありません。長谷川さんの本を、繰り返し読んでいます。長谷川さんの御多幸を祈念します。
Posted by ダグラスリーフ at 2009年11月14日 03:21
 先年、成田空港反対闘争は「ごね得」だった、と口走って己の無知と非常識を曝した大臣がいましたが(辞任に追い込まれた上落選したのは自業自得だが)、じっさいのところ、まともに最初から地元と交渉をしていれば、少なくとも、開港が遅れるとか、いつまでたっても“完成”しないとか、何人もの犠牲者を出すとかいった事態は避けられたはずなんですけどね。

>長谷川さんの本を、繰り返し読んでいます。
 どうもありがとうございます。
Posted by 長谷川@望夢楼 at 2009年11月16日 07:26
『成田空港』(イカロス出版)購入しました。表紙に大文字で“逆襲のナリタ”と書かれていて,思わず苦笑しました。中身は,「成田空港」賛美,万歳の記事,写真にあふれてました。出版社がイカロス出版だけに仕方ないと思いました。もう少し反対運動について、ページ割いても良かったのにと思いました。なぜ新東京国際空港が成田に決定したのか,何度も読みましたが,説得力ある文は無かったでした。
Posted by ダグラスリーフ at 2011年03月08日 02:40
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