2013年11月25日

歴史学系学会・関係者等による特定秘密保護法案関連声明

(このページは適宜更新します。)

久保亨・歴史学研究会委員長ほか「特定秘密保護法案に対する歴史学関係者の緊急声明」(2013年10月30日)
http://rekiken.jp/announcement201311.html
http://www.nihonshiken.jp/component/content/article/29-toppage/447-2013-11-22-06-49-49.html
http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/movement/tokuteihimituhogohou_seimei20131105.pdf
http://www.jca.apc.org/rekkyo/data/etc/timefile/2013y/331030seimei.pdf
http://www.geocities.jp/doujidaisigakkai/announcements/announcement20131030.html
http://space.geocities.jp/japanwarres/
※歴史学研究会、日本史研究会、歴史科学協議会、歴史教育者協議会、同時代史学会、東京歴史科学研究会、日本の戦争責任資料センターの各代表、および宮地正人・国立歴史民俗博物館前館長による共同声明。賛同署名を募っている。 http://chn.ge/1hEH5WP

歴史学研究会委員会「特定秘密保護法案に対する反対声明」(2013年11月1日)
http://rekiken.jp/appeals/appeal20131101.html

日本アーカイブス学会「「特定秘密保護法案」に対する意見表明」(2013年11月15日)
http://www.jsas.info/modules/news/article.php?storyid=148

歴史科学協議会「特定秘密保護法案の廃を求める総会決議」(2013年11月16日)
http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/movement/2013soukaiketugi_tokuteihimituhogohouann.pdf

久保亨・歴史学研究会委員長ほか「特定秘密保護法に反対する歴史学関係者の第2次緊急声明」(2013年11月22日)
http://rekiken.jp/announcement201311.html
http://www.geocities.jp/doujidaisigakkai/announcements/announcement20131122.html
※歴史学研究会、日本史研究会、歴史科学協議会、歴史教育者協議会、同時代史学会、東京歴史科学研究会、日本の戦争責任資料センターの各代表、および宮地正人・国立歴史民俗博物館前館長による共同声明。

日本科学史学会「「特定秘密保護法案に対する歴史学関係者の緊急声明」に関して」(2013年11月25日)
http://historyofscience.jp/?p=1798
※上掲「特定秘密保護法案に対する歴史学関係者の緊急声明」および「第2次緊急声明」への賛同声明。
posted by 長谷川@望夢楼 at 06:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月23日

日本近海で海底火山の噴火により新島が出現した事例

 簡単なメモとして。

 安永8年(1779)に始まった桜島の噴火で、約1年間にわたる海底火山の活動により、桜島の北方に次々と新島が誕生した。この島々は「安永諸島」と呼ばれる。特に、最大の島である新島(しんじま)は、浸食が続いているものの現存している。
 なお、これ以前、文明8年(1476)の噴火で、沖小島・鳥島が出現したともいわれている。
http://goo.gl/maps/RMzXu

 1933年(昭和8)1月26日、千島列島でラッコの保護・取締のための調査航海を行っていた農林省の白鳳丸は、阿頼度島(アライドまたはアライト。現在のアトラソフ島)の東方で、海底噴火により新島が出現しているのを発見した。この島は、白鳳丸船長・武富栄一の名をとって「武富島」(たけとみとう)と命名された(沖縄県八重山列島の「竹富島」と混同しないように注意)。その後、アライト島とは砂州で陸続きとなっている。
(1952年発効のサンフランシスコ講和条約により日本は千島列島の領有権を放棄しているが、出現当時は日本領だったことから、便宜上ここで紹介する。)

 1934年(昭和9)に始まった鹿児島県南方の硫黄島(いおうじま)の火山活動で、海底火山の噴火により、1934年12月、硫黄島東方に新島が誕生した。この島は12月末にいったん消滅したが、翌1935年1月に再出現、「昭和硫黄島」と命名された(別名「硫黄新島」「新硫黄島」。後述する火山列島の新硫黄島と混同しないように注意)。
http://goo.gl/maps/Byh5k

 1973年(昭和48)5月、小笠原諸島西方の西之島東方沖で海底火山の活動が始まり、9月に新島が出現、12月に海上保安庁により「西之島新島」と命名された。翌1974年3月、新島が西之島本島と陸続きになったことが確認された。
 西之島の新島部分はその後の浸食で縮小したが、2013年(平成25)11月20日、西之島のさらに南東約500m沖の地点に新島が噴出したことが確認された。


 以下は、新島出現後、短期間で消滅した事例。

 1870年(明治3)、伊豆諸島南方の須美寿島東方で海底火山の噴火により新島が出現したとされ、「火山島」と命名された(ややこしいが、島の名前が「火山島」 Volcano island)。この島は高さ40フィートだったとされる。1872年にも目撃報告があるが、1880年(明治13)以来再三の調査にもかかわらず再発見されず、1896年(明治29)3月29日付で海図から削除されている。海底火山の活動によって出現した一時的な新島だったとも、須美寿島ないしベヨネース列岩の位置誤認ともいわれる。

 1904年(明治37)12月5日、小笠原諸島・火山列島の南硫黄島北東沖で、海底火山「福徳岡ノ場」の活動により新島が形成されているのが、硫黄島の住民により発見された。硫黄島民は翌1905年(明治38)2月にこの島の上陸調査を行い、「新硫黄島」と命名している。しかし、その後短期間のうちにこの島は消滅した。
 1914年(大正3)1月25日、新硫黄島は再出現した。しかし、この島も1916年6月までに消失した。
 1986年(昭和61)1月18日、福徳岡ノ場の活動が確認され、20日には新島の3度目の出現が確認された。しかし、この島は3月末までに消失した。
 福徳岡ノ場は最近では2005年7月、2010年2月に噴火している。

 1946年(昭和21)2月、伊豆諸島南方のベヨネース列岩東方に新島が出現していることをイギリス軍艦ウラニア号が確認し、「ウラニア島」と命名した(Urania. 「ウラヌス」 Uranus とする文献あり)。しかしこの新島は同年12月には消滅した。
 1952年(昭和27)9月17日、カツオ漁船・第十一明神丸が同じ海底火山の活動による新島を発見、海上保安庁水路部は発見船にちなみ「明神礁」と命名した。この新島は9月23日に消滅。10月に新島が再出現するが、翌1953年3月に消滅。4月に3度目の新島が出現するも、9月に消滅。以後も火山活動は続いているが、新島の形成は確認されていない。
 これ以前にも1870年(明治3)と1896年(明治29)に新島を形成したとする文献があるが、詳細は不明。
posted by 長谷川@望夢楼 at 07:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 地図・島嶼・領域 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月20日

「望夢楼」18周年

18周年を迎えました。
最近はなかなか更新もできない状況なので申し訳ない限りですが、今後ともよろしくお願いする次第です。
posted by 長谷川@望夢楼 at 17:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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