2024年04月03日

『朝日新聞』(2024年4月3日)に私のインタビューが掲載されました

https://www.asahi.com/articles/ASS3W61J1S3TUPQJ003.html
教育勅語の「中身はいい」? そう言いたい欲望の背景にあるもの
2024年4月3日

広島市の職員研修における松井一實・広島市長の「教育勅語」の引用問題に関連して、拙著『教育勅語の戦後』関連で『朝日新聞』よりインタビューを受けた記事が掲載されています(※上記ネット版は有料公開)。
ラベル:教育勅語
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2023年07月11日

NHK BSプレミアム ダークサイド・ミステリー「神秘の古代ミステリー 徹底検証!日本・ユダヤ同祖論」(7月13日)

ダークサイド・ミステリー
神秘の古代ミステリー 徹底検証!日本・ユダヤ同祖論
2023年7月13日 21:00〜 (再放送:7月17日 23:00〜)
https://www.nhk.jp/p/darkside/ts/4847XJM6K8/episode/te/MP1M81N4XL/

 一応私も少しですが取材を受けましたので(大した話はできませんでしたが)ご紹介しておきます。
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2022年12月10日

『週刊読書人』12月9日号に庄子大亮著『アトランティス=ムーの系譜学』の書評を執筆しました

週刊読書人2022年12月9日号に、庄子大亮著『アトランティス=ムーの系譜学――〈失われた大陸〉が映す近代日本』(講談社選書メチエ)の書評を執筆しました。


ちなみに、文中で軽く触れた野田開作著『深海の謎に挑む――海底大陸をひらく人々』(偕成社、1958年)の「ミユ海底大陸のなぞ――沈没大陸を探るチャーチワード」ですが、国立国会図書館デジタルコレクションで限定公開されておりますので、国会図書館の利用登録者はオンライン閲覧ができます。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1629136/108
この本、アメリカ海軍大佐のチャーチワード(チャーチワードは自称イギリス陸軍大佐)が、「聖書の創生記」(原文のママ)の「太平洋上に、ミユという大陸があり、エデンの楽園はそこにあった」という記述(もちろん「創世記」にそんな記述はない)などをもとに、1940年代から1950年代にかけて太平洋を調査(チャーチワードは1936年没)し「ミユ大陸」説を発表した――という、どこから突っ込んでいいのかわからない代物。他にも、「長さ四十メートル、重さ二千キログラムくらいの大きさ」(原文のママ。2000トンではなく2トンである)の「コモド島の恐竜」が登場したりします。

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2022年04月11日

仙石和道『大熊信行と凍土社の地域文化運動――歌誌『まるめら』の在地的展開を巡って』(論創社)について

たいへんお久しぶりです。長谷川です。ご無沙汰して申し訳ありません。

この度、瀬畑源君をはじめ友人一同とともに、亡友・仙石和道君(1974〜2019)の遺稿『大熊信行と凍土社の地域文化運動――歌誌『まるめら』の在地的展開を巡って』(論創社、2022年4月、288頁、3000円+税)を出版することになりました。4月12日発売の予定です。

大熊信行と凍土社の地域文化運動論創社
仙石和道 著/瀬畑源 編集代表/今井勇、小野寺茂、長谷川亮一、村松玄太 編集
ISBN 978-4-8460-2153-5

序にかえて――仙石和道君の大熊信行研究について 池田元
序章 研究の課題と方法
第一章 高岡高等商業学校時代の大熊信行――歌誌『まるめら』における在地的展開を中心として
第二章 『越後タイムス』における地域文化運動――土田秀雄を中心として
第三章 土田秀雄の地域文化運動――短歌運動を支えた人々を巡って
第四章 歌誌『まるめら』における在地的展開――凍土社と柏崎ペンクラブを巡って
第五章 大日本言論報国会時代の大熊信行――雑誌『公論』を巡って
第六章 戦後の柏崎図書館運動――歌誌『まるめら』の終焉から戦後の復興を巡って
終章
「あとがきにかえて」
編集代表あとがき 瀬畑源

仙石君が博士学位請求論文(未提出)として執筆していたもので、内容的にはほぼ完成していたのですが、そのままの形での出版には若干の難があったため、瀬畑君らが中心となって、誤記の修正や出典の再確認等を行い、大熊信行となじみの深い論創社から出版していただくことになったものです。いわゆる遺稿集という形ではなく、あくまで学術書としての出版になります。

本書は仙石君が2006年から2015年にかけて執筆した論文をもとに、学位請求論文として再構成したものです――が、ここまで書けていたならあと1〜2年は早く提出できてたんじゃないか、さすがにちょっと時間かけすぎだろう、いまさら言っても詮無いけどさ、という文句が思い浮かばなくもありません(遅筆という点では私も他人のことは言えなのだけれど)。

主題は、仙石君が長きにわたって研究を重ねていた経済学者・歌人の大熊信行(1893〜1977)ですが、大熊個人の思想に焦点を当てたものというよりは、大熊が主宰した歌誌『まるめら』(1927〜41、ただし大熊の関与は1938年まで)と、高岡(富山県)や柏崎(新潟県)などにおける地域文化活動との接点が主題となっています。大熊は歌人としては口語・非定型(自由律)の独自の短歌理論を提唱していますが、それが地域の短歌活動に強い影響と、一方で反発をもたらしたことは、本書で詳細に論述されています。また、タイトルにある「凍土社」(1927〜37頃)は、大熊の小樽商業高等学校時代の教え子であった、柏崎商業学校教諭の土田秀雄(1901〜62)が設立した短歌(和歌)結社。その関連もあり、大熊とは接点のない土地の同人でありながら、大熊と『まるめら』から強い影響を受けていたことを、仙石君は執念深い資料収集をもとに、細かく論証していきます。

もっとも、仙石君のもともとの問題関心は、知識人と戦争責任をめぐる問題にあったはずで――そのことは、「あとがきにかえて」として収録された『越後タイムス』掲載のエッセイに触れられている――、その点からいえばかなりの遠回りをした感も否めません。本来なら、ここでひとまとめをしたうえで、ここから大熊の短歌運動と大熊自身の思想との関わりについての議論へと進むところだったのでしょうが、それはついに果たされずに終わってしまいました。

本書は大熊信行のオーガナイザーとしての側面に光を当てたものですが、仙石君もまたオーガナイザーでした。我々編者一同と仙石君との関係については、編者代表である瀬畑君が「あとがき」で触れていますが、彼は一橋大の吉田裕ゼミや明治大の山田朗ゼミ、後藤総一郎ゼミなどに他大学から参加し、修士課程在籍中の2001年頃から、知り合いの院生たちに声をかけて独自の勉強会を立ち上げており、千葉大修士課程在籍中だった私にも参加を呼びかけてきました。私は千葉大の学部生だったころ、『世界』(第656号、1998年12月)掲載の座談会「大学生は『戦争論』をこう読んだ」に参加したことがあり、その件で彼から一度メールをもらったことがあったのです。その後、彼は2002年に図書館情報大学の大学院博士後期課程に進学するのですが(2004年に筑波大に統合)、そこで大熊信行の研究者である池田元先生(筑波大学教授=当時、現・名誉教授)と知り合い、2004年から2007年にかけて「時代思想の会」という研究会を定期的に開いていました。編者一同は仙石君に半ばかき集められるような形で、この「時代思想の会」に参加することになったのです。なお、このときに彼から、戦時中の総合雑誌『公論』の共同研究を持ちかけられたこともあります。軍国主義を鼓舞した雑誌として知られながら、国会図書館にもきちんと揃っていないので、バックナンバーを探して現物に当たってみたのですが、結局、仙石君は「大日本言論報国会時代の大熊信行――雑誌『公論』を巡る一考察」(『出版研究』第37号、日本出版学会、2006年) https://doi.org/10.24756/jshuppan.37.0_165 (本書第5章)をまとめたものの、私のほうは特に何の成果も出していないことが、今となっては心残りとなっています。

思うところは色々あるのですが、本書の紹介としてはひとまずこのくらいで筆を置くことにしましょう。
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2018年09月17日

新刊『教育勅語の戦後』のご紹介

ご無沙汰しております。

7年ぶり3冊目の単著になります『教育勅語の戦後』が、9月20日に白澤社より発売されます(ISBN 978-4-7685-7973-5, 定価3200円+税)。

版元ドットコムの紹介

少し長いまえがき──教育勅語「口語訳」の怪
第1章 教育勅語とは?
〈余話1〉教育塔と教育勅語
第2章 教育勅語とその口語訳を読む
〈余話2〉山岡鉄舟は教育勅語に影響を与えたか?
第3章 「国民道徳協会訳」の来歴と流布
〈余話3〉アデナウアー・西ドイツ首相は教育勅語を信奉したか?
第4章 教育勅語の失効をめぐって
〈余話4〉ソ連にも教育勅語があった?
第5章 「教育勅語的なるもの」への欲望
〈附録1〉教育勅語の主な口語訳
〈附録2〉戦後の教育勅語関連文献目録

このブログでも以前からしばしば取り上げてきた(って、最初に取り上げたの、もう12年も前だよ)「国民道徳協会訳」の問題を中心に、戦後における教育勅語の受容の一側面を描いてみました。岩波書店の『徹底検証 教育勅語と戦後社会』に書いた「「口“誤”訳」される教育勅語」の内容をさらに詳しく論じたものになります。昨年来の教育勅語問題で関連書籍が多数出版されておりますが(確認できただけで10冊近く)、類書にないアプローチ方法になったのではないか、と自負しています。

……ちなみに、出版が遅くなってしまった最大の理由ですが……私の遅筆と書きすぎです(長く書きすぎたのでだいぶ削った)。
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2017年11月26日

『徹底検証 教育勅語と日本社会』(岩波書店、2017年11月)のご紹介

22日に出版されましたのであらためて紹介しておきます。目次は以下の通り。私は国民道徳協会訳と1980年前後の神社本庁の「教育正常化」運動などについて書いています。

I 歴史のなかの教育勅語
高橋陽一「教育勅語の構造」
齋藤公太「「国家神道」と教育勅語――その狭間にあるもの」

II 教育勅語から考える
辻田真佐憲「教育勅語肯定論の戦後史――敗戦直後の擁護論から森友学園事件まで」
長谷川亮一「「口“誤”訳」される教育勅語――戦後の教育勅語受容史」
原武史「「おことば」と教育勅語」
井戸まさえ「「教育勅語」と『育児の百科』――明治的支配へのアンチテーゼとして」
斎藤貴男「政治と財界が目指す「明治的」なるものの形」

III 鼎談
寺脇研+青木理+木村草太「教育勅語が照射する現代の社会と教育」





 ……そういえば、20日に「望夢楼」17周年だったんでしたっけ。忘れてました。



posted by 長谷川@望夢楼 at 10:03| Comment(3) | 教育勅語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月11日

『徹底検証 教育勅語と日本社会』(岩波書店、2017年11月)の前宣伝

こちらも岩波書店のウェブサイト上に出ていますので、せっかくなので紹介しておきます。11月22日発売予定です。

岩波書店編集部編『徹底検証 教育勅語と日本社会――いま,歴史から考える』
https://www.iwanami.co.jp/book/b325100.html
ISBN 978-4-00-061233-3 四六判並製 224頁 1900円+税

私は、例の国民道徳協会訳について書かせていただきました。






posted by 長谷川@望夢楼 at 04:07| Comment(3) | 教育勅語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『近代日本の偽史言説』(勉誠出版、2017年11月)のご紹介

ご紹介、というか宣伝です。

一昨年(2015年)11月に立教大学で開かれたシンポジウム「近代日本の偽史言説」が書籍化されました。私の手元には昨日(11月10日)届きました。
私は第4章「「日本古代史」を語るということ――「肇国」をめぐる「皇国史観」と「偽史」の相剋」を担当しました。
 目次は以下の通りです。

http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&cPath=9_14_39&products_id=100823
小澤実編『近代日本の偽史言説』(勉誠出版、2017年11月)
ISBN 978-4-585-22192-0 A5判上製 392頁 3800円+税



序章 偽史言説研究の射程 小澤実

第1部…地域意識と神代史
第一章 偽文書「椿井文書」が受容される理由 馬部隆弘
第二章 神代文字と平田国学 三ツ松誠
第三章 近代竹内文献という出来事―“偽史”の生成と制度への問い 永岡崇

第2部…創造される「日本」
第四章 「日本古代史」を語るということ―「肇国」をめぐる「皇国史観」と「偽史」の相剋 長谷川亮一
第五章 戦時下の英雄伝説―小谷部全一郎『成吉思汗は義経なり』(興亜国民版)を読む 石川巧

第3部…同祖論の系譜
第六章 ユダヤ陰謀説―日本における「シオン議定書」の伝播 高尾千津子
第七章 酒井勝軍の歴史記述と日猶同祖論 山本伸一
第八章 日猶同祖論の射程―旧約預言から『ダ・ヴィンチ・コード』まで 津城寛文

第4部…偽史のグローバリゼーション
第九章 「日本の」芸能・音楽とは何か―白柳秀湖の傀儡子=ジプシー説からの考察 齋藤桂
第一〇章 原田敬吾の「日本人=バビロン起源説」とバビロン学会 前島礼子
第一一章 「失われた大陸」言説の系譜―日本にとってのアトランティスとムー大陸 庄子大亮

偽史関連年表
あとがき

 少々お値段がはりますので、気軽に薦めづらいのが難点ですが、それだけの価値はあると思います。
 なお、私の原稿は報告のときからは大幅に書き直されています。シンポジウムの際は、私の準備不足で十分で踏み込んだ話ができなかったので……。



posted by 長谷川@望夢楼 at 03:55| Comment(5) | 偽書・偽文書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月31日

『郷友』誌掲載の奇怪な講演録(10)真珠湾攻撃で最初の一発を撃ったのはアメリカ側だから、日本の奇襲攻撃ではない?!

第1回第9回

  • 三上照夫「講演要旨 大東亜(太平洋)戦争は日本が仕掛けた侵略戦争か」『郷友』第35巻第1号通巻第407号(東京:日本郷友連盟、1989年1月1日発行)28〜45頁。

 真珠湾攻撃について。

 では急襲(サープライズ)、宣戦布告三十五分前に本当に攻撃したのか、さにあらず、米国は攻撃命令が出おりますのでその二時間前、日本の潜水艦と駆逐艦が攻撃され潜水艦が沈められておりますから、明らかに最初の一発はアメリカ側が早かったのでした。[35-36頁]

 真珠湾攻撃が始まったのは、1941年12月8日の日本時間午前3時19分(ハワイ時間7日午前7時49分)。野村吉三郎駐米大使がハル国務長官に日米交渉の打ち切り通告を手交したのは日本時間午前4時20分、つまり約1時間後である(よく誤解されているが、これはあくまで交渉打ち切り通告であって宣戦布告ではない。少なくとも国際法上の宣戦布告の体裁をなしていなかった。宣戦布告詔書が発せられたのは日本時間午前11時40分で、攻撃開始の8時間も後である)。「35分」というのはどこから出て来たのだろうか。

 なお、ハワイ時間6時45分頃(つまり攻撃開始の約1時間前)、アメリカ海軍の駆逐艦ウォード号(USS Ward)が、アメリカの領海内の防衛区域で国籍不明の小型潜航艇(日本海軍の特殊潜航艇と推定されている)を発見し撃沈した、という記録は確かに存在する(防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 ハワイ作戦』朝雲出版社、1967年、400頁。ゴードン・W・プランゲ/土門周平+高橋久志〔訳〕『真珠湾は眠っていたか II・世紀の奇襲』講談社、1986年、291-292頁。他)。ただし、潜水艦が潜航したまま領海に侵入することは、それだけで敵対行為であり、ウォード号の行動は正当防衛にあたる。しかもこの場合、本当に攻撃する気で侵入してきたのだから、先制攻撃を仕掛けたのは日本側である、ということには何ら変わりがない。このエピソードは確かに意外なものだが、ただそれだけの話なので、誰も問題にしていないのである。

 なお「潜水艦と駆逐艦が」は原文のママ。「潜水艦が駆逐艦に」なら意味が通じる。

 ところで、三上は全く触れていないが、そもそも真珠湾攻撃開始の約2時間前に、日本陸軍がマレー半島のコタバル(英領マラヤ、現・マレーシア)への奇襲上陸作戦を開始している。これが対イギリス開戦である。これが国際法違反の奇襲攻撃であったことに疑問の余地はない。イギリスに対しては事前に何の交渉もしていなかったし、事前の宣戦布告もしていなかったからである。宣戦詔書の題名は「米国及英国ニ対スル宣戦ノ詔書」。イギリスにも戦争を仕掛けたことを忘れてはいけない。

(第11回につづく)

posted by 長谷川@望夢楼 at 19:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 疑似科学・懐疑論・トンデモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月30日

『郷友』誌掲載の奇怪な講演録(9)昭和天皇は「北海道をアメリカに割譲してでも和解の道はないか」と言った?!

第1回第8回

  • 三上照夫「講演要旨 大東亜(太平洋)戦争は日本が仕掛けた侵略戦争か」『郷友』第35巻第1号通巻第407号(東京:日本郷友連盟、1989年1月1日発行)28〜45頁。

 三上は、開戦を決定した御前会議について、こんな奇妙なことを語っている。12月1日、開戦前最後の御前会議の話らしい。

[…]陛下はこの期に及んでも難色を示された。武藤さん唯ひとりが陛下に迫りました。御前会議で、凡そ戦争哲学の示す処によれば、ジリ・ジリ・ジリと痛められ敵前上陸を受けて、工業施設すべてを破壊され、女・子供は強姦凌辱され、果たしてその国は立ち直れるのかねたとえ戦いに敗れてでも民族の総力を結集して打って出た国は立ち上がっている、陛下何を迷われます、御前会議の記録は明らかです、武藤さんは気の毒にこの一言で絞首刑に掛かるのでした。
 陛下は、その時一人言のように、「北海道をアメリカに割譲してでも和解の道はないか」とつぶやかれたことが記録にあります。[35頁]

 「御前会議の記録は明らかです」というが、そんな記録は存在しない

 御前会議に出席し、かつ戦犯として処刑された「武藤」といえば、武藤章(1892〜1948)しかいない。しかし、まず武藤章は当時は陸軍省軍務局長であって、陸軍大臣(東條英機)や参謀総長(杉山元)を差し置いて発言できるような立場ではない。第二に、武藤は開戦回避論者であった。そして最も重要なのは、武藤であろうが他の誰であろうが、御前会議の場で昭和天皇を説得する必要もなければ、食ってかかる意味もない、ということである。御前会議は確かに天皇臨席のもとで開かれてはいるのだが、天皇自身は基本的に発言しない習慣になっていたからだ。発言内容についての政治的責任を問われると、困ったことになるからである。この時点で開戦派が説得すべき相手は、天皇ではなく、開戦を渋っていた東郷茂徳外相や賀屋興宣蔵相ら一部閣僚たちの方だった。

 当然、東京裁判で武藤章が死刑判決を受けたのも、そんなありもしない理由からではない。実際は、近衛第2師団長(1942年4月〜44年10月)としての北部スマトラでの戦争犯罪と、第14方面軍参謀長(1944年10月〜降伏)としてのフィリピンでの戦争犯罪の責任をとらされたのである。

 さらにわけがわからないのは、昭和天皇の発言である。中国からの撤退は不可能だが、アメリカが要求してきたわけでもない北海道の割譲なら可能、というのはいったいどういうことなのだ?! どうやら三上は昭和天皇を平和主義者だと主張したいようなのだが、これではひいきの引き倒しもいいところである。

記録はこのへんで難しくなるのですが、ついに陛下のご裁可を得ず、真珠湾の攻撃をやったのが真相のようでした。[35頁]

 そんなことがあるわけがない。昭和天皇は11月5日の時点で奇襲攻撃計画を知らされており、12月1日の御前会議で対米英開戦を裁可している

第10回につづく)

posted by 長谷川@望夢楼 at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 疑似科学・懐疑論・トンデモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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